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風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

心の包皮を切り取った、柔らかな心の者に

見よ、
  天とその天の天も、
   地と地にあるすべてのものも、   
    あなたの神、主のものである。申命記v1014
 
 世界が造られたときから、
目に見えない神の性質、
つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、
これを通して神を知ることができます。ロマ120
 
 ルカ15110
 Ⅱペトロ21222
      (ローズンゲン日々の聖句11/17;木)
 
 神の、目に見えない本性、神の永遠の力と神性は、世界の創造されたときからこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められているものなのだそうです。
 
 その方が言われるのですね。
イスラエルよ。今、あなたの神、主、「私はあるという者」と名乗られる方があなたに求めておられることは何か。
それは、ただ、あなたの神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方を恐れ、主のすべての道に歩み、主を愛し、心を尽くし、精神を尽くしてあなたの神、主、「私はあるという者」と名乗られる方に仕え、あなたのしあわせのために、私が、きょう、あなたに命じる主、「私はあるという者」と名乗られる方の命令と主のおきてとを守ることである。
見よ。天ともろもろの天の天、地とそこにあるすべてのものは、あなたの神、主、「私はあるという者」と名乗られる方のものである。
主は、ただあなたの先祖たちを恋い慕って、彼らを愛された。
そのため彼らの後の子孫、あなたがたを、すべての国々の民のうちからら選ばれた。
あなたがたは、心の包皮を切り捨てなさい。
もう、うなじのこわい者であってはならない」(申命記101216新改訳)と。
 
 
 私たちは、義の道を知っても、自分に伝えられたその聖なる命令に背くばかりの者、「犬は自分の吐いた物に戻る」、「豚は身を洗っても、また泥の中にころがる」(Ⅱペテロ2:12~22)ですが、天の神、主、「私はあるという者」と名乗られる方は、いなくなった一匹の羊を見つけるまで捜し歩き、見つけたら大喜びでその羊を肩に載せて帰って来る羊飼いのように、
また、10枚セットの銀貨の一枚をなくしたら、あかりをつけ、家を掃いて、見つけるまで捜し、見つけたら、友達や近所の人を呼び集めて喜ぶ女性のように、私たちを捜し、ご自分に帰って来るのを喜んでくださる方なのだそうです。
 
 うなじのこわい、自分一人で善悪を決定する者になって、天の神、主に聞こうとせず、自分の理性の判断を押し通すものになっている「生まれたときからの霊」という私自身を、御子イエスの十字架刑での処刑に合わせて、処刑済みのもの、死んだ者としてくださり、
受け入れる者に、もう一人の方、「聖である霊」と呼ばれる方をお遣わしくださって、受け入れる者が「生まれたときからの霊」から来る思いで生きるのではなく、「聖である霊」と呼ばれる方から来る「父である神」の御思いによって生きる者に、「心の包皮を切り取った者」にしてくださり、「父である神」がしようと思われることをしていく者にしていただけるのだそうです。
今日も。
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