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風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

主と一つの霊となって

人々は必ずあなたたちに言う。
「ささやきつぶやく口寄せや、霊媒に伺いを立てよ。
民は、命ある者のために、死者によって、
自分の神に伺いを立てるべきではないか」と。イザヤ書819
 
 主に結ぶ付く者は
主と一つの霊になるのです。Ⅰコリント617
 
 黙示録201115
 Ⅱペトロ310~18
        (ローズンゲン日々の聖句11/19;土)

 

 私たち人間は、造り主である天の神との「一つ」の場にとどまることを嫌い、
天の神、主、「私はあるという者」と名乗られる方に対抗し、
神のひとりのようになろうとして「善悪を知る者」(創世記3:5、22)になり、
自分一人の理性の判断でことの良し悪しを決定する者になってしまっているのだそうです。

 

 けれども、人間は、全知でも全能でもなく、死ぬ者になっているため(創世記3:19)、自分の力に余る出来事に遭遇することになります。
 
そのようなときも、なお、天の神、主に帰ろうとはせず、
いよいよ対抗して、天の神、主に反抗している霊どもの所にすがって行くのだそうです。
口寄せや霊媒、占いなどに。

 

 それでもなお、天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方は、私たち人間と「一つ」になろうと願い続けて下さって、
まず、「御子である神」が、「女の子孫」として、ダビデの子孫のひとりの貧しい処女、マリヤの胎を通して、人間イエスとして人の世に来られ、すべての人間のすべてのそむきの罪の責任を取って、自分から十字架刑での処刑を受けてくださり、私たち自身である私たちの「生まれたときからの霊」を処刑されたもの、処罰が終わっている者、死んだ者としてくださるのだそうです。

 

 そのうえで、受け入れる者に、もう一人の助け主、「聖である霊」と呼ばれる方が来てくださって、受け入れる者の心に「父である神」が私たちひとり一人に思っていてくださる御思いを置いてくださるので、受け入れる者は「父である神」と同じ思いを思うようにしていただけ、「一つ」心になり、「父である神」がその人を通してしようと思われることをしていく者、「一つ」行動をとる者にしていただけるのだそうです。
 
「生まれたときからの霊」から出て来る思いを、「死んだ者」から来た思いであると認めてこの思いは横に置いて、「聖である霊」から来る「父である神」の御思いによって生きる、「主と一つの霊」で生きる者にしていただけるのだそうです。
今日も。
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