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風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

裏切られることのない望みなのだそうです。これは。

腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい。ルカ1235(11/20の週の聖句)
 
 あなたの仰せによりすがらせ、
命を得させてください。詩編119116
 
 どうか、平和の神御自身が、あなたがたを全く聖なる者としてくださいますように。
また、あなたがたの霊も魂も体も何一つかけたところのない者として守り、
私たちの主イエス・キリストの来られるとき、
非のうちどころのないものとしてくださいますように。Ⅰテサロニケ523
 
 マタイ25113 
イザヤ書26719
      (ローズンゲン日々の聖句11/20;Ⅲ日)
 
 婚礼に出かけた主人がいつ帰って来てもいいように、真夜中に、あるいは明け方に帰って来ても、身支度を整え、部屋に明かりをともして待っているのを見られる僕は幸いなのだそうです(ルカ123538)。
 
 また、花婿がいつ到着してもいいように、遅れて真夜中になってもいいように、予備のともし火の油を用意して待っている出迎えの娘のようでありなさいとイエスはおっしゃるのですね(マタイ25113)。
イエスが2度目に来られるときは、思いがけない時に来られるのだそうですから(ルカ1240)。
 
 
 私たち自身である「生まれたときからの霊」は、「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になっていて、天の神、主に逆らい、対抗する者なのだそうです。
 
自分自身はそういう者であることを認めて、
この自分自身、「生まれたときからの霊」をイエスの十字架刑での処刑に合わせていただいて、死んだ者としていただき、
この「生まれたときからの霊」から来る思いは死んだ者から来ている思いであるとして、これを横に置いておくのだそうです。
 
そして、イエスが派遣してくださるもう一人の助け主、「聖である霊」と呼ばれる方をお迎えするなら、この方が、私たちひとり一人に思っていてくださる「父である神」の御思いを心に置いてくださるので、その思いに従って生きていけばいいのだそうです。
 
そうするなら、受け入れる者は新しい関係を「父である神」と持つようになり、神である主と一つになっている者、聖なる者、この世から取り分けられた者とされ、イエスが来られたとき、霊も魂もからだも何一つかけたところのない、非の打ちどころのないものにしていただけるのだそうです。
 
 それで、その生き方をいただいている者は、イエスが来られるのが真夜中だろうと明け方だろうと大丈夫なのですね。
 
 受け入れる者は、主人の帰りを待つ僕のように、花婿の到着を待つ出迎えの乙女たちのように、イエスが来られるのを待ちながら、「父である神」の御思いを求めて生きるようになるのだそうですね。
この新しい週も。
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