風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

古い布への継ぎ当てではなく、新しい布に取り換えを

エリヤの言葉:

あなたたちは、いつまでどっちつかずに迷っているのか。

 もし主が神であるなら、主に従え。

   もしバアルが神であるなら、バアルに従え。列王記上18:21

 

 イエスの言葉:

誰も織りたての布から布切れを切り取って、

  古い服に継ぎを当てたりはしない。

 そうすれば、新しい布切れが古い服を引き裂き、

    破れはもっとひどくなる。マルコ2:21

 

 イザヤ書26:7~12(~15)

 イザヤ書62:6~12

      (ローズンゲン日々の聖句12/6;火)

 

 約束の地、カナンに定着したイスラエルの人々は、天の神、主の度重なる警告にもかかわらず、先住民の、農業と豊穣の神バアル信仰に引き込まれて行ったのだそうです。

それで、天の神、主は、エリヤを預言者として立て、エリヤを通して、どちらが本当の神なのかと迫り、

答えない民に対して、「天からの火をもって答える神を神とせよ」とさらに迫り、

人間が考え出した神々から、この天地と人間を造られた神に立ち帰るよう迫られたのだそうです。

 

 イエスは、今までの人間の側の付け加えでズレてしまっている教え(当時のユダヤ教)から抜け出せないで、イエスが伝える天の神、主の本当の思いを受け取ることができないで、イエスを批判する人々に、今までの教えは受け取り違っているのだから、今までの教えの延長線上でイエスの教えを取り入れるのではなく、最初から受け取りなおすようにと、このたとえ、新しい布から部分的に切り取って、古い服に継ぎを当てればどちらもダメになると話されたようです。

 

 自分の今までの信仰は、「風を産んだようなもの」で、救いにならないことを認めて(イザヤ26:18)、先入観を捨て、ゼロから、何もないところから天の神、主、「わたしはあるという者」と言われる方の御思いを求めてほしいとイエスは言っているのでしょうか。

 

 「私たちはあなたを待ち望み、

私たちのたましいは、あなたの御名、あなたの呼び名を慕います。

私のたましいは、夜あなたを慕います。

まことに、私の内なる霊はあなたを切に求めます」(イザヤ26:8~9新改訳)と。

今日も。

 

[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]

 

"哲学・思想 ブログランキングへ"

 

[269RANKのランキングサイト]