風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

一緒に生きる者になって欲しいと

わたしは悪人の死を喜ぶだろうか、
    と主なる神は言われる。
  彼がその道から立ち帰ることによって、
     生きることを喜ばないだろうか。エゼキエル書1823
 
 神の憐れみが
あなたを悔い改めに導くことを知らないのですか。ロマ書24
 
 イザヤ書4421232427
 イザヤ書66514  
      (ローズンゲン日々の聖句12/16;金)
 
 天の神、主、「わたしはある」という者と名乗られる方は、
親が、家出をした子が帰って来るのを待ちわびるように、
私たちが帰って来るのを待っておられる方なのだそうです。
 
 帰って来たとき、
告訴する者から訴えられても大丈夫なように借金の全部を返済して、
恥ずかしい思いをすることがないように
最上の着物、息子のしるしの指輪も用意して。
 
 だから、今までの、自分の理性の判断、自分の思いのとおりに生きて来た生き方から、
天の神、主の御思いをお聞きし、
天の神、主と思いを一つにし、心を合わせて生きる生き方に
方向転換して欲しいのだそうです。
 
 今はすでに、「御子である神」と呼ばれる方が、人間イエスとして人の世に来てくださって、
たち人間のすべてのそむきの罪、
天の神、主に対抗して、
「神のひとりのようになり、善悪を知る者」として生きて来た責任のすべてを
ご自身に負って十字架刑での処刑を受けてくださって、
受け入れる者の、神に対抗している「生まれたときからの霊」を
処刑済み、死んだものとしてくださって、
もう一人の方、「聖である霊」と呼ばれる方が私たちに来られる道を開いてくださっているのだそうですから。
 
 そして、この方、「聖である霊」と呼ばれる方によって、
「父である神」が私たち、一人ひとりに思っておられる御思いを心に置いてくださるので、
受け入れる者の心に「父である神」の御思いが来て、
受け入れる者は、天の神、主と同じ思い、一つ思いになって生きるようにしてくださるのだそうですから。
 
 それで、受け入れる者は、天の神、主が望むことをみな成し遂げる者としていただき、
「天よ。喜び歌え。主がこれを成し遂げられたから。
地のどん底よ。喜び叫べ。
山々よ。喜びの歌声を上げよ。林とそのすべての木も。
天の神、主、「わたしはある」という者と名乗られる方がヤコブを(私たちを)贖い、
イスラエルのうちに(私たちにも)、その栄光を現されるからだ」(イザヤ442328
とうたうようになるのだそうです。
 
主のことばにおののく者たちよ。
主のことばを聞け。
主はこう仰せられる。
「見よ。わたしは川のように繁栄を彼女に与え、
あふれる流れのように国々の富を与える。
あなたがたは乳をのみ、わきに抱かれ、ひざの上でかわいがられる。
母に慰められる者のように、わたしはあなたがたを慰め、
エルサレムであなたがたは慰められる。
あなたがたはこれを見て、心喜び、あなたがたの骨は若草のように生き返る。
主の御手は、そのしもべたちに知られ、
その憤りは敵たちに向けられる」(イザヤ6651214)と。
今日も。
 
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