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風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

地の果てまで、すべての人が

地の果てまで
  すべての人が主を認めますように。詩編Psalms2228
 
 その光は、まことの光で、
世に来てすべての人を照らすのである。ヨハネJohn19
 
 イザヤ書Isaiah71014
 ルカLuke15766
      (ローズンゲン日々の聖句12/23;金祝)
 
 初めから「父である神」と共におられた「御子」である神、
神の「ことば」と呼ばれる方。
 
 すべてのものはこの方によって創造されたのだそうです。
この宇宙の星々も、この地球の自然界も、そして人間も。
この方によらないでできたものは一つもないのだそうです。
 
 この方にはいのちがあって、そのいのちは人の光なのだそうです。
そして、そのいのちの光である、御子である神が、
すべての人を照らし、いのちを与えるために、
天の栄光の座を後にして、人となり、人の世に来られたのだそうです(ヨハネJohn1:1~9)。
 
 「女の子孫」として(創世記Genesis3:15)、
最初の人アダムの「神のひとりのようになり、善悪を知る者」となった(創世記Genesis3:5、22)
そむきの性質を受け継がないように、男との関係を持っていない処女の胎を通して。
 
 イエスが生まれる700年ほど前のこと、
天の神、主は、預言者イザヤを通して預言しておられます。
 
「さあ、聞け。ダビデの家よ。
あなたがたは、人々を煩わすのは小さなこととし、私の神までも煩わせるのか。
それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるし(証拠としての奇跡)を与えられる。
 
見よ。処女がみごもっている。
そして男の子を産み、
その名を『インマヌエル(神は私たちとともにおられる)』と名づけられる」と(イザヤIsaiah7:13~14)。
 
 あの、ナザレ村出身のイエス、
ベツレヘムで、ダビデの子孫である処女マリヤを母として生まれ、
およそ33歳の頃、ローマ兵によって十字架刑で処刑されたあのイエスこそ、
御子である神、まことの光である方、救い主であると、
地の果て果てまですべての人が認め、受け入れて、いのちを得るようにと、
天の神、主は願っておられるのだそうです。
 
 この、イエスの十字架刑での処刑に合わせていただいて、
「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になっている
私たち自身である「生まれたときからの霊」を
処刑されたもの、死んだものとしていただき、
イエスが派遣してくださるもう一人の方、「聖である霊」と呼ばれる方をお迎えして、
この方によって、
「父である神」が一人ひとりに思っておられる御思いを心に置いていただいて、
「父である神」とl思いを一つにし、心を一つにして生きていって欲しいと。
 
「われわれのかたちに、われわれに似た者に」(創世記Genesis1:26)、
 
「父である神」が「御子イエス」におり、「御子イエスが「父なる神」におるように、
受け入れる者が「父なる神」、「御子イエス」におり、
「父なる神」、「御子イエス」が受け入れる者におり、
 
「父なる神」、「御子イエス」、「聖である霊」と呼ばれる方が一つであるように、
「父なる神」、「御子イエス」、「聖である霊」と呼ばれる方と
地の果てまでのすべての人が、
これを受け入れ、一つになって生きるように(ヨハネJohn17:21~23)、と。
今日も。
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