読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

あけぼのの光が来て、平和の道へと

地を踏み鳴らした兵士の靴、血にまみれた軍服は
  ことごとく、火に投げ込まれ、焼き尽くされた。イザヤ書94
 
 あけぼのの光が我らを訪れ、
我らの歩みを平和の道に導く。ルカ17879
 
 マタイ2112
 エフェソ書323a56
 ルカ4113
      (ローズンゲン日々の聖句2017/1/6:金)
 
 平和が訪れるのですね。ひとりの王によって。
軍靴も軍服も必要がなくなって、
火で焼き尽くされるのだそうですから。
 
 この方は、
暗黒と死の陰に座る者たちを日の出の光のように照らし、
平和の道に導くのだそうです。
天の神、主は、イザヤをとおして預言されているのですね。
「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。
ひとりの男の子が、私たちに与えられる。
主権はその肩にあり、
その名は『不思議な助言者、力ある神、
永遠の父、平和の君』と呼ばれる。
その主権は増し加わり、その平和は限りなく、
ダビデの王座について、その王国を治め、
さばきと正義によってこれを堅く立て、
これをささえる。今より、とこしえまで。
万軍の主の熱心がこれを成し遂げる」と(イザヤ9:6~7新改訳)。
 
 
 2000年ほど前のこと、
東方(たぶん、ペルシャとかイラクあたり)の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言ったのだそうです。
「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。
私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みに参りました」と。
 
 そして、その星によって、ベツレヘムへ導かれ、
赤ん坊のイエスに会い、ひれ伏して拝み
黄金、乳香、没薬をささげたのだそうです(マタイ2111新改訳)。
 
 このときの赤ん坊、イエスは、私たちの「そむきの罪」の責任をご自身に引き受け、十字架刑での処刑を受けて、
私たちの「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になっている
「生まれたときからの霊」を
十字架に架けられたもの、死んだものとしてくださるために来られたのだそうです。
 
 そして、墓に葬られ、三日目に新しい霊のからだに復活されたイエスは
40日間、何度も弟子たちに現れ、神の国について教えられたのち、
弟子たちに見ている前で、オリーブ山から天の父である神の右の座に帰られたのだそうです。
 
 そして、今は、父である神の右の座にあって、もう一人の方、「聖である霊」と呼ばれる方を受け入れる者に派遣し、この方によって、受け入れる者の心に「父である神」が一人一人に思っておられる御思いを書きしるし、受け入れる者が新しい心で、「父である神」と思いを同じくし、心を一つにして生きるようにしてくださるのだそうです。平和に向かって。
 
 そのイエスが、今度は、王として、
世界を治めるためにオリーブ山に立たれるのだそうです。
軍靴も軍服もいらない平和な世界を実現するために。
 
 それで私たちも言うのですね。
「来てください」(黙示録2217)と。
今日も。
イメージ 1