風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

叫びに答えてくださる方に

苦難の中で、私が叫ぶと、
  主は答えてくださった。ヨナ書23
 
 父がわたしにお与えになる人は皆、
わたしのところに来る。ヨハネ637
 
 使徒134552
 (通読箇所)ルカ71117
    (ローズンゲン日々の聖句1/26:木)
 
 私たちの叫ぶ声に答えてくださる神なのですね。
天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方は。
 
 この方は、預言者ヨナの
「私はあなたの目の前から追われました。
しかし、もう一度、私はあなたの聖なる宮を仰ぎ見たいのです」との叫びにも答えてくださったのだそうです。
 
 イエスは言われました。
「父がわたしにお与えになる者はみな、わたしのところに来ます。
そしてわたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません。
わたしを遣わした方のみこころは、
わたしに与えてくださったすべての者を、
わたしがひとりも失うことなく、
ひとりひとりを終わりの日によみがえらせることです。
事実、わたしの父のみこころは、
子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。
わたしはその人たちをひとりひとり終わりの日によみがえらせます」(ヨハネ63740新改訳)と。
 
 このイエスの出来事が宣べ伝えられるところ、
これを喜んで聞き、受け入れる人と、
反対し、あるいは無視する人とにはっきり分かれるようですね。
 
 使徒パウロがピシデヤのアンテオケ(今のトルコ)で、イエスの十字架の死と復活を宣べ伝えたときのように(使徒134552)。
 
 イエスを求めて行くなら、私たちは、イエスの十字架刑での処刑を自分の〔生まれたときからの霊〕の処刑としていただけるのだそうです。
 
 そして、墓に葬られ、三日目に墓より新しい霊のからだに復活し、
天の父である神の右の座、〔御子である神〕の位に帰られたイエスは、
私たちにもう一人の助け主、〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださるのだそうです。
 
 この方は受け入れる者の心に、〔父である神〕が私たちひとり一人に対して思っていてくださる御思いを書き記して下さるのだそうです。
 
 それで、私たちも、これを受けいれ、自分の〔生まれたときからの霊〕から心に来る思いを、死んだ者から来た思いとして横に置き、〔聖である霊〕と呼ばれる方から来る〔父である神〕の御思いによって生きるようにもしていただけるのだそうです。
 
 主に答えていただき、喜びと〔聖である霊〕と呼ばれる方に満たされながら。
今日も。
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