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風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

求めにふさわしく答えてくださる方によって

私たちの救いの神よ、
あなたの恐るべき御業が、
私たちへのふさわしい答えでありますように。詩編656
 
 だれでも、求めるものは得、
捜す者は見つけ、
門をたたく者には開かれる。マタイ78
 
 黙示録1:(1238
 ルカ91827(通読箇所)
  (ローズンゲン日々の聖句2/9:木)
 
 
天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方は、私たちの願いに答えてくださる方。
求めるものには得させ、捜す者には見つけ出させ、門をたたく者には門を開いてくださる方。
私たちの求めにふさわしく答えてくださる方なのだそうです。
 
 
 イエスは、「天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう」と仰るのですね(ルカ1113)。
 
 
また、イエスは仰られます。「心の貧しい者は幸いだ。義に飢え渇く者は幸いだ」と(マタイ5:36)。
 
 
 「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になっている(創世記3522、〔生まれたときからの私〕という私自身である霊は、天の神、主に対立、対抗するばかりで、天の神、主と心を一つにしていく思いの出て来ないもの、天の神、主にさからい、そむくばかり思いしか出て来ないのものであることを認める者は幸いだと言われるのですね。
その場所で求めさえすれば、天の御国、天の神、主の統治のもとに入ることができ、義、神との正しい関係に満ち足りるようになるのだそうですから。
 
 
 〔父である神〕は、〔御子である神〕を人として人の世に送り、この方にすべての人の、すべての罪の責任を負わせて、「神にそむく者」として十字架刑で処刑されたのだそうです。
そして、受け入れる者をこのイエスの十字架刑での処刑に合わされたものとし、その〔生まれたときからの霊〕を処刑されてしまっているものとしてくださるのだそうです。
 
 そのうえで、求める人たちにもうひとりの助け主、〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださって、この方の働きで、受け入れる者の心に、ご自身がひとり一人に思っておられる御思いを置き、書きしるして、受け入れる者の心に、ご自身と同じ思いが来るようにしてくださり、受け入れる者がご自身と一つ心になって生きるようにしてくださるのだそうです。
 
 
 受け入れる者は、「日々、自分の十字架を負って」(ルカ923)、〔生まれたときからの私〕という私自身である霊は、イエスの十字架刑に合わせていただいて処刑されているものと認めながら、〔聖である霊〕と呼ばれる方から来る御思いによって生きる者にしていただけるのだそうです。
 
 今いまし、昔いまし、後に来られる方、初めであり、終わりであり、死者の中から最初によみがえられた方、地上の王たちの支配者であるイエスによって、王国(神の御思いが成っているところ)としていただき、神のための祭司としていただきながら(黙示録156)。
今日も。
 
 
 
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