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風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

憐れみを受ける者にしていただいて

わたしに尋ねようとしない者にも尋ね出される者となり、
わたしを求めようとしない者にも見出される者となった。イザヤ書651 
 
 神はあなたがたを暗やみの中から
驚くべき光の中へと招き入れてくださいました。
あなたがたは「かつては神の民ではなかったが、
今は神の民であり、
憐れみを受けなかったが、
今は憐れみを受けている」のです。Ⅰペテロ2910
 Ⅰコリント12631
 ルカ102124(通読箇所)
  (ローズンゲン日々の聖句2/18:土)
 
 天の神、主は言われます。
 わたしは、わたしの名を呼び求めなかった国民に向かって、
「わたしはここだ、わたしはここだ」と言った。
わたしは、反逆の民、自分の思いに従って良くない道を歩む者たちに、一日中、わたしの手を差し伸べた。
 
 この民は、いつもわたしに逆らってわたしの怒りを引き起こし、園の中でいけにえをささげ、れんがの上で香をたき、墓地に座り、見張り小屋に宿り、豚の肉を食べ、汚れた肉の吸い物を器に入れ、「そこに立っておれ。私に近寄るな。私はあなたより聖なるものになっている」と言う。
 
 「これらは、わたしの怒りの煙、一日中燃え続ける火である。
見よ。これは、わたしの前に置かれている。
わたしは黙っていない。必ず報復する。
わたしは彼らのふところに報復する。――
山の上で香をたき、
丘の上でわたしをそしったあなたがたの咎と、あなたがたの先祖の咎をともどもに。
わたしは、かれらの先のしわざを量って、彼らのふところに、報復する」(イザヤ6517新改訳)と。
 
 
 けれども、〔父である神〕は、その怒り、報復を私たちに向けないで、私たちの代わりに、〔御子〕である方に向けてくださったのだそうです。
 〔御子〕である方を人間イエスとして人の世に送り、この方がおよそ33歳の頃、反逆者として十字架刑で処刑し、私たちの反逆の罰を処刑が終わったものとしてくださり、私たちには和解の手を差し伸べ続けて下さっているのだそうです(Ⅱコリント51821)。
 
 この世には知者がおり、権力者、身分の高い者、強い者もいます。
しかし、天の神、主は、霊の貧しい者、この世の、愚かな者、弱い者、取るに足りない者を選び、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民としてくださろうとして、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださっているのだそうです。
 
それで、その招きに応じる者は、神の民でなかったのに、神の民としていただき、あわれみを受けない者であったのに、あわれみを受ける者にしていただけるのだそうです(Ⅰペテロ2:9~10)。
 
 創り主よりも、自分のほうが知恵があり、素晴らしいものだとする〔生まれたときからの私〕という霊を、イエスの十字架刑での処刑に合わせていただき、処刑されたもの、死んだものとしていただいて、新しく、イエスが派遣してくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方お迎えし、この方によって、〔神の子〕の身分を与えていただき(ロマ8:15)、神の家族として、〔父である神〕の私にたしする御思いを心に置いていただいて、〔父である神〕と思いを同じくし、心を一つにして歩む者に、と。
 
 かしこい者や知恵のある者ではなく、幼子たちを(ルカ1021)。
今日も。
 
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