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風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

実を変えるには、木から替えなければいけないのだそうです

見よ、わたしは驚くべき業を重ねて、この民を驚かす。

賢者の知恵は滅び、聡明な者の分別は隠される。イザヤ書29:14

 

 天使はヨハネについて言った。

「彼はイスラエルの多くの子らを

その神である主のもとに立ち帰らせる。

彼はエリヤの霊と力で主に先立って行き、

父の心を子に向けさせ、

民を主のために用意する。」ルカ1:16~17

 

 ルカ6:43~49

 ルカ11:1~4(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句2/22;水)

 

 天の神、主は仰せられるのですね。

「この民は口先で近づき、くちびるでわたしをあがめるが、その心はわたしから遠く離れている。彼らがわたしを恐れるのは、人間の命令を教え込まれてのことにすぎない」(イザヤ29:13)と。

 

それで、天の神、主は、ご自分の側で、驚くべき業を行うとおっしゃられるようです。

 

 〔父である神〕は、〔独り子〕である方を、人とし、キリスト(救い主)として人の世に送られるとき、まず、「荒野に叫ぶ者の声、主の道を用意する者」として、バブテスマのヨハネを遣わされたのだそうです(ルカ3:1~4)。

 

 けれども、指導者たちは彼を認めようとせず、彼に対して好きかったなことを行ったのだそうです。

そして、あとから来られる方、キリスト(救い主)である、人となられた〔御子である神〕にも、同じような扱いをしたのですね。

 

 彼らは、十字架に架かられているイエスをあざけって言いました。

「今、十字架から降りてもらおうか。

そうしたら、われわれは(お前がキリストだと)信じるから。

もし神のお気に入りなら、今救っていただくがいい。

『わたしは神の子だ』と言っているのだから」(マタイ27:41~43)と。

 

 彼らにしても、全知全能である神の御子である方が人間の手にかかって十字架につけられるなど、考えも及ばなかったのですね(Ⅰコリント2:8~9)。

 

 けれども、これは、〔父である神〕の人間を救うためのご計画であり、世の初めからずっと預言されてきたことだったのだそうです。

預言者を通して。また、罪の身代わりとして動物のいのちをささげる祭儀を通して。

 

 〔父である神〕は、「われわれのかたちとして、われわれに似たもの」として人間を造ろうと思われた時、当然、人間は、その与えられた自由意思をもって自分に背く者になることも予測、予知されたはずです。

そうなれば、この創造の計画は挫折することになりますが、

そのときには、〔御子である神〕が、人となって、人の世に降り、すべての人のそむきの罪の責任を負って、反逆の罪で、神に呪われた者となり(申命記21:23)、木に掛けられることにしようと。

 〔御子である神〕のいのちを、贖い(あがない、買い戻すこと)の代価として支払い、回復の道を開くことを計画に盛り込んだうえで、「さあ、人を造ろう」(創世記1:26)ということになったようです。

 

 私たちは、正しい、良い人間になるために、行動を変えようとしますが、イエスは仰るのですね。

「悪い実を結ぶ良い木はないし、良い実を結ぶ悪い木もありません。いばらからいちじくは取れず、野ばらからぶどうを集めることはできません。良い人は、その心の良い倉から良い物を出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を出します。なぜなら人の口は、心に満ちているものを話すからです」(ルカ6:43~45)と。

 

 人は、霊の思いが心に満ちて、それを口から出すもののようです。

「神のひとりのようになり、善悪を知る者になっている(創世記3:5、22)、天の神、主に背き、対立、対抗している霊のままでは、良い実を結ぶことはできない、ようです。

 

 〔父である神」は、私たちの、この「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になっている、〔生まれた時からの私〕という霊を、イエスの十字架刑での処刑に合わせて処刑されたもの、死んだものと手続してくださるのだそうです。

そのうえで、新しい霊として、イエスを通して、〔聖である霊〕と呼ばれる方を受け入れる者に派遣してくださるのだそうです。

 

 そして、この方によって、受け入れる者の心にご自分が一人一人に思っておられる御思いを置いてくださり、受け入れる者の心にご自分の御思いが来るようにしてくださるのだそうです。

それで、受け入れる者の口は、〔父である神〕が話そうと思われることを話すようになり、しようと思われることをしていく者にしていただけるのだそうです(エレミヤ31:33、エゼキエル36:25~27、使徒2:4)。

 

 砂の上に家を建てるような、〔生まれた時からの私〕という霊から来る思いによって行動するのだはなく、岩を土台として家を建てるように、〔聖である霊〕と呼ばれる方から心に来る御思いによって行動していく、良い実を結ぶ良い木に。

今日も。

 

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