風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

負い運び、になったくださる方のもとに帰って

主は愛と憐れみをもって彼らを贖(あがな)い、昔から常に、彼らを負い、彼らを担ってくださった。イザヤ書639
 
 あなたがたは羊のようにさまよっていましたが、
今は、魂の牧者であり、
監督者である方のところへ戻って来たのです。Ⅰペテロ225
 
 Ⅱテモテ31017
 ルカ111423(通読箇所)
  (ローズンゲン日々の聖句2/24:金)
 
 私たちはこの方を知りませんでした。
けれども、この方は、私たちが生きていくのに必要なもの、私たちを喜ばせる善きもののすべてを創造し、私たち人間を造り、常に私たちを負い運び、担って来てくださっている方なのだそうです。
私たちが存在するのも、また、存在し続けられているのもこの方によるのだそうです。
 
 この方は、ひとりの人、アブラハムを選び、このひとりの人から一つの民族イスラエルを造り、この民族と神の民となる契約を結び、このイスラエル1600年ほどの歴史の中で、40人ほどの人たちを聖書の記者として立て、聖書をとおしてご自身を私たち人間に啓示し、ご自身の御思いを表わしておられるのだそうです。
 
 その聖書によりますと、この方、天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方は、人間の始祖、アダム以来の、私たち人類のこの方に対するそむき、離反の責任を、今から2000年ほど前、ナザレ村出身のイエスを、旧約聖書で預言されていたとおりにエルサレムで十字架刑によって処刑され、その処刑によって、私たちを処罰済みとしてくださったのだそうです。
 
 そのうえで、もう一人の方、〔聖である霊〕と呼ばれる方を受け入れる者に派遣してくださって、この方によって、受け入れる者の心にご自身の御思いを置いてくださり、受け入れる者がご自身と思いを同じにし、心を一つにするようにと道を開いていてくださるのだそうです。
 
 私たち、どのように生きていったらいいか分からないで、羊のようにさまよっているものですが、この方、天の神、主が魂の牧者、監督者となってくださるのだそうです。
 
 そして、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者としていただき(Ⅱテモテ317)、
神の指として悪霊どもをさえ追い出す神の国、神の統治を地にもたらす者ともしてくださるのだそうです(ルカ1120)。
 この方のこの御業の中に出て行くのですね。
私たち、今日も。
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