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風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

人間を照らす光、命の中へ

今、私たちはエルサレムへ上って行く。
人の子について預言者が書いたことは
みな実現する。ルカ1831(2/26の週の聖句)
 
 主よ、あなたは万物に命をお与えになる方。
天の軍勢はあなたを伏し拝む。ネヘミヤ記96
 
 言(ことば)の内に命があった。
命は人間を照らす光であった。ヨハネ14
 
 マルコ83138 
 詩編15
  (ローズンゲン日々の聖句2/26:Ⅳ日)
 
 聖書には、天使のことはあまり詳しくは述べていないようです。
しかし、天(霊の世界)には、私たちが、「天の神、主」とお呼びし、ご自分では、「わたしはあるという者」と名乗られる方がおられ、また、多くの天使の軍勢がいて、天の神、主に仕えているようです。
それで、天の神、主を「万軍の主」ともお呼びしているわけです。
 
 〔父である神〕は、人間を、そして、人間の住まいとしてのこの天地、宇宙、この自然界のすべてを設計、計画なされ、〔御子である神〕は、〔神の言(ことば)〕、〔言(ことば)である神〕の立場にあって、〔父である神〕の御思いを表現、宣言なさり、創世記12によると、その、〔言(ことば)〕のとおりを〔聖である霊〕と呼ばれる方が実現されたようです。
 この〔御子である神〕、〔言である神〕は命であり、人を照らす光でなのだそうですね。
 
 私たち人間も、この自然界のすべてのもの、天と、天の天と、その万象、地とその上のすべてのもの、海とその中のすべてのものは(ネヘミヤ96)、〔父である神〕の御思いのとおりに、〔御子〕、〔言である神〕を通し、〔聖である霊〕と呼ばれる方によって造られ、命を与えられた、ということでしょうか。
 
 天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方は、私たち人間を、「われわれのかたちとして、われわれに似せて」造られたのだそうです(創世記126新改訳)。
 
 しかし、人間の始祖、アダムは、その、神が造られた場に留まることをしないで、「神のひとりのようになろう。善悪を知る者になろう」として、天の神、主に対抗、対立する者になり、〔的はずれ〕なものになったのだそうです(創世記3522)。
 
 それで、アダムの子孫である私たち人間は、その性質を受け継いで生まれて来ており、自分が一番になろうとして、互いに対抗、対立しあい、良い物の全部を独り占めしようとし、他を自分の思いのとおりに支配しようとし、その心に計ることがみな、いつも悪いことに傾き、人の世界は暴虐で満ちることになったのだそうです(創世記6511)。
 
 天の神、主は、そのように、創造の目的から的はずれになってしまった人間を、廃棄処分にはしないで、なお、最初の目的のとおりに、「われわれのかたちとして、われわれに似た」ものに回復しようと計画してくださっているのだそうです。
 
 そのご計画は、〔御子である神〕が、人となって人の世に下り、すべての人間の、すべての〔的はずれ〕の責任を負って、神に反逆する者として木に掛けられ、処刑されることで、すべての人間の、すべての〔的はずれ〕の処罰が終わったこととしてくださるというもののようです。
 
 その上で、受け入れる者に、もう一人の方、〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣し、この方によって受け入れる者の心に、ご自身の、一人一人に思っておられる御思いを置き、受け入れる者と一つ思いとなり、一つ心となろうと願っておられるのだそうです(エレミヤ313334、エゼキエル362528)。
 ご自分たちが一つ思いになり、一つ心になっておられるように(ヨハネ172122)。
 
 冒頭の言葉は、その〔父である神〕の御計画のときが満ちて、旧約聖書で預言されていたとおりに、十字架刑で処刑されるために、イエスは、いよいよこれから、エルサレムに向かおうとしておられるときのものなのだそうです。
 
 およ2000年ほど前に、イエスによる処刑が完了している今は、それを受け入れるなら、私たちも、「神の一人のようになり、善悪を知る」ものになっている、私たち自身である〔生まれたときのままの霊〕を処刑されたもの、死んだものとしていただけるのだそうです。
 
 そして、〔聖である霊〕と呼ばれる方が来てくださり、心に、〔父である神〕の私に対して思っておられる御思いを置いてくださるので、私たちも〔父である神〕と同じ思いを思い、一つ心になるようにしていただけるのだそうです。
命と光である御思いの中に。
この新しい週も。
 
 
 
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