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風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

律法の要求を満足する者としていただいて

主の御言葉は正しく、
御業はすべて真実。詩編334
 
 イエスの言葉:
わたしが来たのは
律法や預言者を廃止するためだと思ってはなりません。
廃止するためではなく、完成するためである。マタイ517
 
 ルカ133135
 ルカ112936(通読箇所)
  (ローズンゲン日々の聖句2/27:月)
 
 イエスによる救いを受け取った者は、古い契約、律法的な生き方、「主の仰せられたことはみな、(自分の力で)行います。聞き従います」(出エジプト2437)という生き方から解放され、福音(イエスによるうれしい知らせ)的生き方に移されているのだそうです。
 
 しかし、それは、律法そのものを無視し、無律法になってしまってよいということではないようです。
律法は、天の神、主が、「わたしはこういう者だから、あなたがたもこういう者になって欲しい」と思っておられる、その御思いを戒めのかたちで言い表したものだそうですから、その神の御思いが廃止されることはない、のだそうです。
 
 律法の要求を満足させるのに、二つの方向があるようです。
一つは、違反した場合、その違反にふさわしい報いを与えること。
そして、もう一つは、律法が言っているとおりの心になること。
 
 天の神、主は、この二つをイエスによって、私たちに完成させてくださろうとしていておられるのだそうです。
 
 まず、私たちの違反、〔的はずれ〕に対しては、今から2000年ほど前、預言されていたとおりに、〔御子である神〕が、「女の子孫」として(創世記315)、人間イエスとなって人の世に来てくださり(ルカ2:1~7、ヨハネ1:14)、
およそ、33歳の頃、エルサレム郊外で(ルカ13:31)、神に呪われたものとして木に掛けられ(申命記2123)、処刑されてくださったことで(ヨハネ19:30)、すべての人間の、すべての違反、〔的はずれ〕の処罰が終わったものとしてくださっているのだそうです。
 
 そのうえで、受け入れる者に、もう一人の助け主、〔聖である霊〕と呼ばれる方が来てくださり、
新しい霊として、私たちの心に〔父である神〕の御思いを置いてくださって(エレミヤ31334、エゼキエル362531)、私たちの心を一新してくださり(ロマ122)、
私たちが〔父である神〕の御思いを持つ者、律法の精神と同じ心を持つ者にしてくださるのだそうです。
 
 それで、受け入れる者は、御子であるイエスによって、そして、イエスが天の〔父である神〕の右の座にあって派遣してくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方によって律法を完成する者としていただけるのだそうです。
心に、律法で表されている同じ思いが来る者に。
御言葉の真実にかけて。
今日も。
 
 
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