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風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

まだ、見ていない事実を確認しながら

主はモーセに言われた。

「あなたはわたしの顔を見ることはできない。

人はわたしを見て、

なお生きていることはできないからである。」出エジプト33:20

 

 信仰とは、望んでいる事柄を確信し、

見えない事実を確認することです。

昔の人たちは、

この信仰のゆえに神に認められました。ヘブル11:1~2

 

 マタイ6:16~21

 ルカ12:1~12(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句3/1;水)

 

 私たちは、神は見えないから信じられない、と心に思います。

しかし、事実には、見て、確認できる事実と、見えないけれども、確認できないけれども、事実である、というものもあるようです。

 聖書が伝えている、天の神、主の出来事は、たとえ、今、見えていなくても、神のご計画の時が来れば必ず見えるようになる事実なのだそうです。

 

 それで、私たちは、今、すぐ、報いを受けられなくても、「隠れた所で見ておられる神」が報いてくださることを望み、この地上の世界だけがすべてではないことを知って、天の世界で報いを受けることを望み、天に宝をたくわえることを願います。天の世界では、虫もさびもつかず、盗人に盗まれることもないのだそうですから(マタイ6:16~21)

 

 イエスは言われました。

「おおいかぶされているもので、現されないものはなく、隠されているもので、知られずに済みものはありません。暗やみで言ったことが、明るみで聞かれ、家の中でささやいたことが、屋上で言い広められます。

からだを殺しても、あとそれ以上何もできない人間たちを恐れてはいけません。殺したあとで、ゲヘナ(地獄)へ投げ込む権威を持っておられる方を恐れなさい。

わたしを人の前で知らないと言う者は、神の御使いたちの前で知らないと言われます。聖霊をけがす者は赦されません」(ルカ12:2~10)と。

 

 私たち、天の神、主をあなどり、無視する者であり、人に知られたくない思いが心に湧いて来る者です。

けれども、私たちに代わって十字架刑での処刑を受けてくださったイエスに、全部、もって行き、受け取ってもらって、光の中の出来事、明るみの出来事にしていただき、はばかることなく、恵みの御座の前に出て行けるようにしていただけるのだそうです。

 

 「もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。おそくなることはない。

わたしの義人は信仰によって生きる。

もし、恐れ退くなら、わたしの心は彼を喜ばない」。

 

 恐れ退くばかりの者ですが、イエスによって、信じていのちを保つ者にしていただけるのだそうです(ヘブル10:37~39)。

今日も。

 

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