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風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

 あらゆる恵みを満ち溢れさせて

測り縄は麗しい地を示し、

私は輝かしい嗣業を受けました。詩編16:6

 

 神は、

あなたがたがいつもすべての点ですべてのものに十分で、

あらゆる善い業に満ち溢れるように、

あらゆる恵みを

あなたがたに満ち溢れさせることがおできになります。Ⅱコリント9:8

 

 ルカ14:(25~26)27~33(34~35)

 ルカ19:28~40(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句3/20;月・祝)

 

 測り縄とは、土地を測量するために用いた縄だそうですが、相続財産として受けた土地は良い所だったというような意味になるでしょうか。

 

 この詩の作者は、天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方を自分の相続財産としていて、自分はすばらしい良い相続財産を得た幸いな者だとうたっているようです。

 

「私はいつも、私の前に主を置いた。

主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。

それゆえ、私の心は喜び、私のたましいは楽しんでいる。

私の身もまた安らかに住まおう」(詩篇16:8~9新改訳)と。

 

 また、この方、天の神は、恵みのプレゼントを満ち溢れさせ、私たちに、善い業ができるようにしていてくださる方なのだそうですね。

 

 イエスは、「自分の財産全部を捨てないでは、私の弟子となることはできません」(ルカ14:33)と言われました。

 

 ロシアの文豪、トルストイは、裕福な地主でしたが、自分の力でこのイエスの言葉のような生き方をしようと真面目に取り組み、畑を小作人に分け与え、なお、平安がなく、苦しんだ人だそうです。

 

イエスは、搭を築こうとするとき、

まずすわって、完成に十分な金があるか、よく計算したうえで取りかからないと、基礎を築いただけで完成できないようなことになり、

人々から『この人は、建て始めはしたものの、完成できなかった』と言われることになる。

 

 また。王が、ほかの王と戦いを始めようとするとき、2万人を引き連れて向かって来る敵を、1万人で迎え撃つことができるかどうか、まずすわってよく考え、もし、見込みがなければ、敵がまだ遠くに離れている間に、使者を送って講和を求める。

 

 そのように、神のことば、律法を、自分の力でやりとおせるものか、まずすわってよく考え、もし、自分には手に余る、完成できないものであるなら、十字架に架かるために進んでいるイエスに、自分の十字架を負って処刑場に向かってついて行く者に、

そして、イエスの十字架刑での処刑が終わっている今は、

イエスの十字架刑での処刑に合わせていただいて、自分を処刑された者、イエスの十字架で死んだ者としていただきなさい、と言っておられるようです(ルカ14:27~33)。

 

 〔父である神〕は、この、イエスの十字架刑での処刑に自分を合わせていただいて、〔生まれたときからの私〕という霊を処刑されたもの、死んだものとしていただいた者に、新しい霊として、〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださって、受け入れる者が、この方から来る、〔父である神〕の御思いによって生きるようにしてくださるのだそうです。

 

 私たちにも、善い業ができるよう、あらゆる恵みを用意してくださって。

今日も。

 

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