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風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

恥をぬぐっていただいて

主よ、あなたの嗣業である民を

恥に落とさないでください。ヨエル書2:17

 

 見よ、

世の罪を取り除く神の小羊だ。ヨハネ1:29

 

 ヨハネ13:1~15(34~35)

 Ⅰコリント11:23~26

 ルカ23:26~31(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句4/13;木)

 

 天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方が選ばれ、ご自分の民とする契約を結んだ人々。

しかし、彼らは、この契約を軽んじ、その地の他の神々に心、惹かれていき、預言者を遣わして、何度も立ち帰るよう呼び掛けても無視するばかりで、ついに天の神、主に打たれることになったのだそうです。

それで、周りの国々からは「彼らの神はどこにいるのか」とあざ笑われる状況だったようです。

 

 天の神、主は、「われわれのかたちとして、われわれに似せて」と望まれて造られながら(創世記1:26)、「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になっている(創世記3:5、22)私たち人間の、反逆者、造り主である神を捨てた者との恥をぬぐってくださろうとしているのだそうです。

 

 バプテスマのヨハネは、自分の前にバプテスマを受けに来ているナザレ村のイエスを、〔独り子である神〕と呼ばれる方が、〔女の子孫〕として(創世記3:15)、私たちの身代わりとなり、私たちの罪を背負って命をささげる犠牲の小羊として人の世に来てくださった方だ(ヨハネ1:14)、と世に紹介しているのですね。

 

 その言葉のとおりに十字架刑での処刑を受け、墓に葬られ、三日目、日曜日の早朝、新しい霊のからだに復活されたイエス。

 

 40日に渡って何度も弟子たちに現れて神の国について語られた後、弟子たちのみている前で、オリーブ山から、天の、父である神の右の座、〔御子である神〕の位に帰られたイエス。

 

 そのイエスが派遣してくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方。

その方は、受け入れる者の心に〔父である神〕が、私たち一人一人に思っていてくださる御思いを置いてくださる方なのだそうです(エゼキエル36:25~27)。

 

それで、私たちも、恥をぬぐわれ、〔父である神〕、〔御子である神〕と一つ思いを思う者にしていただけるのだそうです。

 

私たちにも、イエスが弟子たちの足を洗われたように(ヨハネ13:1~15)、互いに足を洗い合う思いが心に来るようになるのだそうです。

 

 イエスの死を覚え(Ⅰコリント11:23~26)、〔生まれたときからの私〕という霊から出てくる思いは、イエスの死に合わせていただいて死んだものとしていただいている霊から来た思いであるとして、イエスの御前に投げ捨てながら。

今日も。

 

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