風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

繫栄と安息を回復して

やがて喜び祝う声、

花婿と花嫁の声が、

「万軍の主をほめたたえよ。

主は恵み深く、その慈しみはとこしえに」と歌う声が聞こえるようになる。エレミヤ33:11

 

 花婿の介添え人はそばに立って耳を傾け、

花婿の声が聞こえると大いに喜ぶ。

だから、私の喜びは満たされている。ヨハネ3:29

 

 創世記2:1~3

 ヨエル4:1~21(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句5/13;土)

 

 天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方は、ご自分の民を打たれることがあります。

けれども、それは、憎くって打っているわけでも、滅ぼそうとして打っているわけでもないのだそうです。

心が離れてしまった民がご自身に心を向けなおし、立ち返ってほしいと願ってのことなのだそうです。

それで、天の神、主は、ご自身に立ち返った者たちをいやして直し、平安と真実を豊かに示して繁栄をあたえ、婚礼の喜びの声が聞こえるようにしようとしていてくださるのだそうです。

 

 イエスのことを、「神の御子キリスト、世の救い主」と人々に紹介したバブテスマのヨハネは、イエスを花婿に、自分を花婿の介添え人の立場に置いて、人々が自分のところからイエスのほうへ行くのを喜んだのだそうです。

 

 天の神、主は、天地万物の創造を6日間で完成し、七日目は創造の業を終えて休まれ、この日を祝福し、特別な日とされたのだそうです(創世記1:1~3)。

 

 人となって、人の世に来られ、

すべての人の身代わりになって十字架刑での処刑を受け、

すべての人の〔生まれた時からの私〕という霊を処刑済みのもの、死んだものとしてくださり、

三日目に死人の中から新しい霊のからだに復活し、

天の父である神の右の座に帰られたイエス

 

その〔御子である神〕の座から、もう一人の方、〔聖である霊〕と呼ばれる方を受け入れる者に派遣し、

この方によって受け入れる者の心に、〔父である神〕が一人一人に思っていらっしゃる御思いを置いてくださり、

受け入れる者が〔父である神〕と一つ心になって生きるようにする、

その回復の御業を完成されたイエス

 

 今は廃墟となったようなところも、神が住むところとしてくださり(ヨエル4:21、新改訳は3:21)、

〔父である神〕の御思いが実行され、

繁栄と安息が満ちるところとしてくださるのだそうです。

今日も。

 

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