風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

大胆に、恵みの御座に近づけるようにと

主よ、あなたは従う人を祝福し、

御旨のままに、

盾となってお守りください。詩5:13

 

 憐れみを受け、

恵みにあずかって、

時宜にかなった助けをいただくために、

大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。ヘブル書4:16

 

 エゼキエル書11:14~20

 使徒4:23~31(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句5/29;月)

 

 天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方は、ご自分と正しい関係にいる者、ご自分と思いを一つにして生きる者を祝福しようと思っておられる方、

大盾で囲むようにして愛で囲み、

守ってくださる方なのだそうです。

 

 〔父である神〕は、〔御子である神〕を、ご自身と民との間に立ち、

民の「的外れ」の責任を自分の身で償い、

ご自身と民とを取りなす大祭司として立てられたのだそうです。

 

 それで、〔御子である神〕は、

アダムの「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になっている(創世記3:22)「的外れ」の性質を受け継がない「女の子孫」(創世記3:15)として、人の世に来られ(ヨハネ1:1~14、ルカ2:1~22)、

人として歩まれ、

およそ33歳の頃、「民の罪を贖(あがな)う、贖いの小羊」として(出エジプト12:1~13、ヨハネ1:29)、

神に反逆し呪われた者となって十字架刑での処刑を受けてくださったのだそうです。

 

 「父である神」は、この、御子イエスを死人の中から新しい霊のからだに復活させ、

40日に渡って弟子たちに現れさせたのち、

天のご自身の右の座に帰らせ、

私たちのための大祭司となさったのだそうです。

 

 それで、今、私たちには、〔父である神〕の右に、大祭司として御子イエスがいてくださるので、

恵みをいただいて、時宜にかなった助けをいただくために、

このままで、大胆に御座の前に出て行って大丈夫なのだそうです。

 

 〔父である神〕は、この、〔御子である神、イエス〕を通して、

もう一人の助け主、〔聖である霊〕と呼ばれる方を受け入れる者に派遣してくださり、

受け入れる者の心に、ご自身の、私たち一人一人に対して思っておられる御思いを置いてくださるのだそうです。

 

 それで、受け入れる者は、

「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になって、自分の理性の判断で凝り固まり、石のように固くなっている心を死んだものとして砕いていただいて、

柔らかい、柔軟な肉のような新しい心を与えていただき、

〔父である神〕を愛する者、

〔父である神〕と思いを一つにし、心を一つにして生きる神の民としていただけるのだそうです(エゼキエル11:18~20)。

 

 それで、この〔聖である霊〕と呼ばれる方に来ていただいたイエスの弟子たちは、

〔聖である霊〕と呼ばれる方が導かれるままに、

〔父である神〕の御思いのとおりにいやしの御業をなし(使徒3:1~10)、

祭司長たちの脅しにもかかわらず、

〔聖である霊〕と呼ばれる方によって心に来る、〔父である神〕の御思いを、大胆に語り続ける者にしていただけたのだそうです(使徒4:23~31)。

 

 私たちも、〔御子である神、イエス〕と〔聖である霊〕と呼ばれる神によって、

大胆に〔父である神〕の御前に出て愛の交わりに入れていただき、

〔父である神〕が私たち一人一人を通してしようと思われる祝福の業を大胆に実行していく者にしていただけるのだそうです。

今日も。

 

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