風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

いつも、主に目を注いで

私はいつも主に目を注いています。

私の足を網から引き出してくださる方に。詩25:15

 

 あなたがたも忍耐しなさい。

心を固く保ちなさい。

主が来られる時が迫っているからです。ヤコブ書5:8

 

 イザヤ書32:11~18

 使徒5:1~11(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句5/31;水)

 

 天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方に、

いつも目を注ぐのだそうです。

 

 この方は、私たちの足を網から引き出してくださる方。

 

 イエスは、二度目に来られて、

私たちがいつもこの方と一緒におられるようにと、

ご自身のもとに私たちを引き上げてくださる方なのだそうです。

 

 それで、畑に種を蒔いた農夫が、大地の貴重な実りを、忍耐をもって待ち望むように、心を固く保って待ち望みなさいと勧められているようです。

 

 天の神、主は、「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になって(創世記3:5、22)、ご自身に対立、対抗している私たち人間が、

あるいは、心の向きを変えて、ご自分に立ち返ることもあろうかと、

ぶどうの収穫をなくし、栄えていた街を打たれて荒れ地とし、野ろばの喜ぶ所、羊の群れの牧場となさるのだそうですが、

それでも、私たちはこの方に帰ろうとはしないのですね(アモス4:6、8、910、11)。

 

 それで、ついには、

〔御子である神〕が、「女の子孫」として人の世に来られ、

私たちの身代わりとなり、

私たちの「的はずれ」責任をご自身の身に負って十字架刑での処刑を受けられるという、

この方の側の一方的な御業によって、

私たちの〔生まれた時からの私」という霊を処刑済みと手続してくださって、

これを受け入れた者に、

上からの霊、〔聖である霊〕と呼ばれる方が来られ、

荒野が果樹園に、果樹園が森とみなされるようにしてくださるのだそうです。

 

公正は荒野に宿り、義は果樹園に住み、平和をつくり出し、平穏と、信頼をもたらし、安全な家、安らかないこいの場に住むようにと(イザヤ32:11~18)。

 

 私たちも、この、〔聖である霊〕と呼ばれる方をお迎えして、

心に、〔父である神〕の御思いを置いていただきながら(エレミヤ31:33)、

女奴隷の目が女主人の手元を注意深く見つめているように(詩123:2)、

〔父である神〕の御思いに目を注ぎながら生きるのですね。

 

エスが二度目に来て下さるその日を目指して。

今日も。

 

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