風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

私の耳を呼び覚まし、開いて、

朝ごとに私の耳を呼び覚まし、

弟子として聞き従うようにしてくださる。イザヤ書50:4

 

 ティアティラ市出身の紫布を商う人で、

神をあがめるリディアという婦人も話を聞いていたが、

主が彼女の心を開かれたので、

彼女はパウロの話を注意深く聞いた。使徒16:14

 

 ヨハネ16:5~15

 使徒5:34~42(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句6/3;土)

 

 天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方は、

私たち、聞く耳を持たない者の耳も呼び覚まし、

開いて、聞くようにしてくださる方なのだそうです。

 

 イエスは、ご自分が十字架に架かる前の晩、弟子たちに語られました。

「わたしが去っていくことは、あなたがたにとって益なのです。

それは、もしわたしが去って行かなければ、助け主があなたがたのところに来ないからです。

しかし、もし行けば、わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします。

その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。」

(ヨハネ16:7~8新改訳)と。

 

 そして、〔父である神〕は、この助け主、〔聖である霊〕と呼ばれる方によって、

使徒パウロを、エーゲ海を渡らせてマケドニアのピリピに導き、

リディア(新改訳はルデア)の心を開いてパウロが語るイエスの出来事が心に留まるようにし、

彼女も、またその家族もイエスを受け入れてバブテスマを受けるように導かれたのだそうです(使徒16:5~15)。

 

 サンヘドリン(ユダヤ最高議会)における使徒たちの取り調べの時にも、

使徒たちが

「人に従うより、神に従うべきです。

私たちの父祖たちの神は、あなたがたが十字架にかけて殺したイエスを、よみがえらせたのです。

そして神は、イスラエルに悔い改めと罪の赦しを与えるために、

このイエスを君とし、救い主として、ご自分の右に上げられました。

私たちはこのことの証人です。

神がご自分に従う者たちにお与えになった聖霊もそのことの証人です」と答えるのを聞いて、

祭司長たちは怒り狂い、使徒たちを殺そうとしたのだそうですが、

神は、律法学者ガマリエルを用いて、

「そこで今、あなたがたに申したいのですが、あの人たちから手を引き、放っておきなさい。

もし、その計画や行動が人から出たものならば、自滅してしまうでしょう。

しかし、もし神から出たものならば、あなたがたは彼らを滅ぼすことはできないでしょう。

もしかすれば、あなたがたは神に敵対する者になってしまいます」とさとされ、

使徒たちをむちで打ち、イエスの名によって語ってはならないと言い渡したうえで釈放するようにされたのだそうです(使徒5:34~40)。

 

 天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方は、〔聖である霊〕と呼ばれる方によって、私たちの耳を開き、ご自身が私たち一人一人に思っておられる御思いを聞く者にもしてくださるようです。

今日も。

 

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