風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

武力によらず、能力によらず、ただ、〔聖である霊〕と呼ばれる方によって

武力によらず、

権力によらず、

だた、わが霊によって、

と万軍の主は言われる。ゼカリア書4:6(6/4の週の聖句)

 

 わたしこそあなたの神、

主、エジプトの地からあなたを導き上った。

私のほかに神を認めてはならない。

わたしのほかに救いうる者はない。ホセア書13:4

 

 神は私たちに、

ご自分の霊を分け与えてくださいました。

私たちはまた、

御父が御子を世の救い主として遣わされたことを見、

またそのことを証ししています。Ⅰヨハネ4:13~14

 

 ヨハネ14:23~27

 詩118:1~14(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句6/4;Ⅰ日)

 

 バビロンの捕囚から帰還し、エルサレムに神殿を再建しようとしているゼルバベル。

妨害とさげすみの中にあるゼルバベルを、天の神、主、は、預言者ゼカリヤを通して、このようにお言葉をかけられ励まされたのだそうです。

 

 天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方は、

私たちに、ご自身と一つになっている者との栄誉を与えようとしていてくださる方のようです。

 

ご自身がしようと思われることを、「わが霊」とおっしゃられる〔聖である霊〕と呼ばれる方によって、私たちに、私たちの願いとして与え、この方によって実現に至らせてくださる方なのだそうですから(ピリピ2:13口語訳)。

 

 この〔聖である霊〕と呼ばれる方は、

〔御子である神〕が「女の子孫」(創世記3:15)として人の世に来られ、

私たちの身代わりとなり、

私たちが、「われわれのかたちとして、われわれに似せて」(創世記1:26)、「私たちが一つであるようにあたしたちと一つである」(ヨハネ17:21~22)ものをと願われ、造られていながら、

「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になり(創世記3:5、22)、

「的外れ」になっている、

その責任のすべてをご自身の身に負って、

神にそむく者、神に呪われた者として十字架刑での処刑を受けてくださったことによって、

受け入れる者に来て下さるもう一人の助け主(ヨハネ14:16)、

 

また、〔父である神〕、〔御子である神〕が妬むほどに愛しておられる方なのだそうです(ヤコブ4:5)。

 

 この方、

〔父である神〕が、〔御子である神〕、イエスの名によってお遣わしくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方は、

〔父である神〕が私たち一人一人に思っておられる御思いを受け入れる者の心に置いてくださる方(エレミヤ31:33)、

受け入れる者にすべてのことを教え、

エスが話したすべてのことを思い起こさせてくださり、

受け入れる者が〔父である神〕の御思いを受けて、

〔父である神〕と思いを一つにして、

平安の中で、新しく生きるようにしてくださる方なのだそうです(ヨハネ14:26~27)。

 

 私たちも、〔聖である霊〕と呼ばれる方によって、

この〔父である神〕、〔御子である神〕、〔聖である霊〕を唯一の私の神とし、

 

「主に感謝せよ。

主はまことにいつくしみ深い。

その恵みはとこしえまで。

 

苦しみのうちから、私は主を呼び求めた。

主は、私に答えて、私を広い所に置かれた。

主は私の味方、私は恐れない。

人は、私に何ができよう。

主は、私を助けてくださる私の味方。

主に身を避けることは、人に信頼するよりもよい。

 

主は、私の力であり、ほめ歌である。

主は私の救い主となられた」(詩篇118:1~14新改訳)

と歌いながら進む者になりたいですね。

この新しい週も。

 

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