風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

私たちを用いて、励まし、慰める言葉を

主なる神は、

弟子としての舌を私に与え、

疲れた人を励ますように、

言葉を呼び覚ましてくださる。イザヤ50:4

 

 私たちも神からいただく慰めによって、

あらゆる苦難の中にある人々を

慰めることができます。Ⅱコリント1:4

 

 マタイ16:13~19

 Ⅰコリント12:4~11

 詩118:15~29(通読箇所)

(ローズンゲン日々の聖句6/5;月)

  私たちの主となってくださる天の神は、私たちを、疲れた人を励ますために用いようとしていてくださる方のようです。

 

 それで、ご自分がその人にかけたい励ましの言葉を、

〔聖である霊〕と呼ばれる方によって私たちの思いの中に置き、

それを私たちの口を通して語ろうとされるようです。

 

 天の神、主は、まず、人生に、生きることに疲れている私たちに生きる意味を与え、慰め、祝福して下さいました。

その慰めによって、私たちを用いて、あらゆる苦難の中にある人を慰めようとしておられるのだそうです。

 

 〔父である神〕は、〔聖である霊〕と呼ばれる方によって、私たちに

エスが誰であるのか、何者であるのかを悟らせ、

「あなたは、生ける神の子キリストです」との告白を与えてくださるのだそうです。

 

 そして、天で、御心の中で、一人一人に成っているイエスによる赦しを、

私たちの口を用いてその人に宣言し、罪のとらわれから解放されるのだそうです(マタイ16:13~19)。

 

 〔父である神〕は、受け入れる者の内に〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣され、この方の働きを現されるのだそうです。

それで、受け入れる者は〔父である神〕の御思いのままに、この方の働きである、

「知恵のことば」、「知識のことば」が現れ、

また、「特別な信仰」が、いやしの賜物が、奇蹟を行う力が、

預言が、霊を見分ける力が、

異言が、異言を解き明かす力が現れるのだそうです。

 

それで私たちも、その現れによって、キリストのからだの肢体として、

慰め、励まし、みなの益になり、徳を高めるよう、用いていただけるのだそうですね。

 

 天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方の力強い働きのために用いていただき、

主の聖名によって祝福し、

「あなたは、私の神、私はあなたに感謝します。

あなたは私の神、私はあなたをあがめます。

主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。

その恵みはとこしえまで」(詩篇118:15~29)とうたうのだそうです。

今日も。

 

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