風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

天の神、主が、私の幸いとなって

あなたは私の主。

あなたのほかに私の幸いはありません。詩16:2

 

 なすべきことはただ一つ、

後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ

神がキリスト・イエスによって上に召して、お与えになる賞を得るために、

目標を目指してひたすら走ろう。フィリピ書3:13~14

 

 使徒18:1~11

 使徒7:30~43(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句6/10;土)

 

 天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方を、

「私の主」、「私の幸い」とした者は、

もう、後ろのもの、今までの自分を振り返らなくていいのだそうです。

 

 イエスが、私たちに代わって十字架刑で処刑を受けてくださり、

私たちの〔生まれた時からの私〕という霊を処刑済み、死んだものとしてくださっているので、

今までの私は死んだものとしていいのだそうです。

 

 そして、三日目に死者の中から新しい体に復活し、

40日に渡って何度も弟子たちに現れて神の国について語ったのち、

弟子たちの見ている前で、オリーブ山から、天の〔父である神〕の右の座に帰られたイエス

 

 そのイエスが〔父である神〕の右の座にあって派遣してくださるもう一人の助け主、

〔聖である霊〕と呼ばれる方。

この方が心に置いてくださる〔父である神〕の御思いに従って、

ひたすら前に向かって進めばいいのだそうです。

 

 すでに得た、とするのでも、すでに完全にされた、と思うのでもなく、

捕らえようとして、

キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、

目標を目指して一心に走るのだそうです。

 

 達しているところはそれぞれ違うのだそうですから、

そこから、さらに前を、上を目指して(ピリピ3:12~16)。

 

 同国人を一人でも救いたいと同国人にイエスの復活を伝えていた使徒パウロが、

同国人の反対によって、

向きを変えて異邦人に伝えるよう導かれて行ったように(使徒181~11)。

 

 また、「だれがあなたを、私たちの支配者や裁判官にしたのか」と人々から拒まれたモーセが、天の神、主によって、支配者また解放者として遣わされ、

エジプトの地で、紅海で、また40年間荒野で、不思議なわざとしるしを行ったように。

 

 〔聖である霊〕と呼ばれる方が心に置いてくださる〔父である神〕の御思いのままに。

今日も。

 

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