風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

神の誓いが今、起こって

神よ、沈黙しないでください。

静まっていないでください。

ご覧ください。

敵が騒ぎ立っています。

あなたを憎む者は頭をあげています。詩83:2~3

 

 ゼカリヤの言葉:

 これは父アブラハムに立てられた神の誓い、

我らは敵の手から救われ、恐れなく主に仕える、

生涯、主の御前に清く正しくされる。ルカ1:73~75

 

 ルカ1:57~67(68~75)76~80

 使徒19:1~7

 使徒11:1~18(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句6/24;土)

 

 敵が周りを取り囲み、騒ぎ立てるとき、天の神、主は立ち上がり、約束されたとおりを実行してくださるのだそうです。

 

 バプテスマのヨハネが誕生した時、父親のゼカリヤは、この子の誕生は、天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方が、2000年ほど前にイスラエル民族の始祖アブラハムに誓われたことが今、起こっているのだと言ったようですね。

 

 700年ほど前、預言者イザヤを通して予告された、「荒野で呼ばわる者の声」として、主の道を備える者が現れ、

〔御子である神〕が救い主キリストとして人の世に来られて、苦難を受けられ、

〔聖である霊〕と呼ばれる方が来られて、恐れなく主に仕え、生涯、主の前に清く正しい生き方をいただけると言う。

 

 この赤ん坊は、成人して、バプテスマのヨハネと呼ばれる、イエスの先駆けとして、神に立ち返るよう人々に呼び掛けてバプテスマ(洗礼)を授ける者となったのだそうです。

 

 使徒とされたパウロが、エペソに来たとき、幾人かの弟子に出会って、「信じたとき、聖霊を受けましたか」と尋ねると、「聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした」ということで、この人たちは、この、バプテスマのヨハネの悔い改めの洗礼しか知らなかったのだそうです。

 

そこで、パウロが、「(バプテスマの)ヨハネは、自分の後に来られるイエスを信じるよう人々に告げて、悔い改めのバプテスマを授けたのです」と説明すると、

その人たちは、イエスの名によるバプテスマを受けたのだそうですが、

パウロが彼らの上に手を置くと、〔聖である霊〕と呼ばれる方が彼らに臨まれ、

彼らはこの方がされるままに、異言を語ったり、預言をしたりしたのだそうです(使徒19:1~7)。

 

 ヨッパのコルネリオの家からエルサレムに帰ったペテロに対して、弟子たちの中で、割礼を受けた者たち(自分の努力で律法を守って、神の前に立てる者になろうとしていた人たち)が、ペテロを非難したのだそうです。ペテロが割礼のない人々のところへ行って、彼らといっしょに食事をした」と。

 

 そこで、ペテロが事の次第を順序正しく説明し、

「そこで私が話し始めていると、聖霊が、あの最初のとき私たちにお下りになったと同じように、彼らの上にもお下りになったのです。

私はそのとき、主が、『(バプテスマの)ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは、聖霊によってバプテスマを授けられる』と言われたみことばを思い起こしました。

 

こういうわけですから、私たちが主イエス・キリストを信じたとき、神が私たちに下さったのと同じ賜物を、彼らにもお授けになったのなら、どうして私などが神のなさることを妨げることができましょう」と言い、

人々はこれを聞いて沈黙し、「それでは、神は、いのちに至る悔い改めを異邦人にもお与えになったのだ」と言って、神をほめたたえたのだそうです(使徒11:1~18)。

 

 このようにして、私たちに代わって十字架刑での処刑を受けてくださったイエスを通して受け入れる者に来て下さる〔聖である霊〕と呼ばれる方による、受け入れる者が恐れなく主に仕え、生涯、主の御前に清く正しくされる出来事は、割礼を受けている者(ユダヤ人)の枠を超えて2000年、今、東の果ての日本でも起こっているのですね。

今日も。

 

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