風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

鳴く子鴉に餌を備えられる方の御思いの中へと

誰が烏のために餌を置いてやるのか。
その雛が神に向かって鳴き、
食べ物を求めて迷い出るとき。
ヨブ記38:41

 主は、ご自分を呼び求めるすべての人を
豊かにお恵みになります。ロマ書10:12

 Ⅰコリント12:12~18
 使徒17:1~15(通読箇所)

 (ローズンゲン日々の聖句7/28;金)

天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方は、鳴く子烏に餌を備えられる方。
すべての人の主であって、主を呼び求めるすべての人に恵み深くあられる方、
主の御名を呼び求める人を、だれでも救ってくださる方なのだそうです。

 

けれども、そのためには、〔御子〕である方が、人として人の世に降り、
神にそむく者として十字架刑での処刑を受けられなければならなかったのだそうです。

そして、〔父である神〕は、この方を死者の中からよみがえらせ(使徒17:3)、
天のご自分の右の座に復帰させ、
この方を通して、もう一人の助け主、〔聖である霊〕と呼ばれる方を受け入れる者に派遣し、
この〔聖である霊〕と呼ばれる方によって、受け入れる者の心に、ご自身の御思いを置き、
受け入れる者が、ご自身と思いを同じくし、心を一つにして生きる、新しい生き方を生きさせてくださるのだそうです(エレミ31:31~34、エゼキエル36:25~31)。

 

この、新しい生き方を生きるようになった者は、ちょうど、からだの肢体のような関係なのだそうですね。
手や足、目や耳や口がそれぞれちがう働きをしながら、その人の思いのとおりに働いているように、受け入れる者は、〔聖である霊〕と呼ばれる方によって、〔父である神〕の御思いのとおりに、御思いを実現していくものにしていただけるのだそうです(Ⅰコリント12:1~18)。

 

鳴く子鴉に餌を備えてくださる方の豊かな恵み、御思いの中に一歩踏み出してみると経験できることなのだそうのですから。

今日も。

 

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