風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

食べて、元気を得、思いっ切り大胆に語り

主の御使いはもう一度戻って来てエリヤに触れ、

「起きて食べよ。この旅は長く、あなたには耐えがたいからだ」
と言った。
列王記上19:7

 主よ、あなたの僕たちが、

思い切って大胆に
御言葉を語ることができるようにしてください。
使徒4:29

 申命記4:27~35(36~40)
 使徒28:17~31(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句8/26;土)

 

 紀元前850年頃のこと、北イスラエル王国の王アハブは、シリアの王女イゼベルを妻に迎えたため、

イスラエル王国は、バアル(カナンの地の豊穣の神)礼拝が盛んになったのだそうです。

 天の神、主の預言者エリヤは、カルメル山に、イゼベルの食卓につくバアルの預言者450人、アシェラの預言者400人を集めて、彼らと対決したのだそうです。。

祭壇の薪の上にささげ物として雄牛を切り裂いて載せ、火をつけないでおいて、

天からの火をもって答える神を神としようとイスラエルの民に迫ったのだそうです。

 それで、まず、バアルの預言者450人が、朝から真昼まで、バアルの名を呼んで言ったのだそうです。
「バアルよ。私たちに答えて下さい」と。
しかし、何の声もなく、答える者もなく、そこで、彼らは自分たちの造った祭壇のあたりを踊りまわり、剣や槍で血を流すまで自分たちの身を傷つけ、夕方のささげものをする時まで騒ぎたてたのですが、
何の声もなく、答える者もなく、注意を払う者もなかったのだそうです。

 そこで、今度は、エリヤが、こわれていた主の祭壇を建て直してたきぎを並べ、

雄牛を切り裂いてたきぎの上に置き、そのうえに三度も水をかけて、

アブラハム、イサク、イスラエルの神、主よ。
あなたがイスラエルにおいて神であり、
私があなたの僕であり、
あなたのみことばによって私がこれらのすべての事を行ったということが、きょう、明らかになりますように。
私に答えてください。主よ。私に答えてください。
この民が、あなたこそ、主よ、神であり、
あなたが彼らの心をひるがえしてくださることを知るようにしてください」と言うと、
主の火が降って来て、いけにえと、たきぎと、みぞの水もなめ尽くし、
民はみな、これを見て、ひれ伏し、「主こそ神です。主こそ神です」と言ったのだそうです。
そこでエリヤは民に命じてバアルの預言者たちを捕らえ、キション川に連れて下り、彼らを殺したのだそうです。

 

 アハブから、このことを聞いたイゼベルは、使者をエリヤのところに遣わし、
「もしも私が、明日の今ごろまでに、あなたのいのちをあの人たちのひとりのいのちのようにしなかったなら、
神々がこの私を幾重にも罰せられるように」と言い送ったのだそうです。

 それで、エリヤは、イゼベルを恐れて立ち去り、ベエル・シェバに来、
さらに荒野へ1日の道のりを入り、死を願ってえにしだの木の下で横になり、眠っていると、
一人の御使いが彼にさわり、頭のところにパン菓子と、水の入ったつぼを置き、

「起きて、食べなさい。旅はまだ遠いのだから」と言ったのだそうです。
食べて力づいたエリヤは、40日40夜、歩いて、神の山ホレブ(シナイ山)まで行くことができたのだそうです(Ⅰ列王18:16~19:8新改訳)。

 

 

 ペテロとヨハネが、生まれたときから足が萎えていて歩いたことがなく、
エルサレム神殿の美しの門で、宮に来た人たちから施しをもらって生活をしていた40歳余りの男の人を、
イエス・キリストの名によって歩けるようにしてやり、
驚いて集まってきた人たちに、「あなたがたが十字架につけたイエスを神はよみがえらせ、
そのイエスの御名がこの人の足を強くし、歩けるようにしたのですと語っていたのだそうです。

 

 それで、祭司長、長老たちが二人を捕らえたのですが、
民衆の手前、二人を処罰することができず、
エスの名によって語ったり教えたりしてはならないと二人に命じて釈放したのだそうです。

釈放された二人は仲間のところに行っていっさいを報告し、
「主よ。いま彼らのおびやかしをご覧になり、
あなたのしもべたちにみことばを大胆に語らせてください。
御手を伸ばしていやしを行わせ、
あなたの聖なるしもべイエスの御名によって、しるしと不思議なわざを行わせてください」と祈ったのだそうです。そして、彼らがこう祈ると、その集まっていた場所が震い動き、
一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語り出したのだそうです。

 

 

 私たちにも、この人生という旅は長く、食べて力を得させようと、
天の〔父である神〕は、いのちのパンである〔御子である神〕を、
女の子孫である(創世記3:15)人間イエスとして派遣され、
この方を食べて、――食べた物が、食べた人のからだと一つになっているように――
この方と思いを一つにする者にしていただき、
見たこと、聞いたこと、体験したことを思い切り、大胆に語り、
この方、主だけが神であって、ほかに神はいないことを、
さらに深く知っていくのだそうです(申命記4:35)。
今日も。

[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]

 

[https://blog.with2.net/link/?1470390人気ブログランキングへ]