風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

自分の正しさを主張し、相手に不当を認めさせ、償わせたい思いが噴き出して来ますが

「人が私にするように、私もその人に対ししてしよう。
それぞれの行いに応じて報いよう」とは、
あなたの言うべきことではない。
箴言24:29

 一日に7回あなたに対して罪を犯しても、
7回、「悔い改めます」と言ってあなたのところに来るなら、
赦してやりなさい。
ルカ17:4

 サムエル記上17:38~51
 民数記9:15~23(通読箇所)

 (ローズンゲン日々の聖句8/29;火)

「目には目。歯には歯。手には手。足には足。やけどにはやけど。傷には傷。打ち傷には打ち傷」(出エジプト21:24)と言われています。
私たち、「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になっている者は、倍返しの復讐、
倍では気が済まなくて、7倍にして、あるいは77倍にして返したい者(創世記4:24)ですが、
天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方は、復讐は、受けた被害と同じところまで、とおっしゃるのですね。
歯を1本おられたら、歯、1本まで、目を片目つぶされたら、目を片目までと。

けれども、本当のお心は、「彼が私にしたように、私も彼にしよう。私は彼の行いに応じて、仕返しをしよう」と言ってはならない(新改訳)ということのようですね。

 さらに、イエスは、仕返しをしないで、赦してやりなさいと言われます。
それも、「仏の顔も三度まで」ではなく、一日で七度、さらに、7を70倍するまで(マタイ18:22)と。

 さらに、パウロを通して言われます。
愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。
それは、こう書いてあるからです。
『復讐は、わたし(天の神、主)のすることである。わたしが報いをする、と主は言われる』(申命記32:35)。
もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。
渇いたなら、飲ませなさい。
そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。
悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に勝ちなさい」(ロマ12:19~21)と。

「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になっている、〔生まれた時からの私〕という私自身は、
どこまで行っても、あの、ガテのペリシテ人ゴリアテのように、天の神、主に対立、対抗して、
自分の理性での善悪の判断のとおりをやって行こうとするばかりのもので、
努力して、表面上は赦したように振舞っても、
心の底には、倍返しの復讐、7倍の復讐をしないと気が済まない思いがうごめいています。

 だから、ゴリアテダビデによって首をはねられたように(サムエル上17:38~51)、この、私自身である、〔生まれた時からの私〕という霊を、イエスの十字架刑での処刑に合わせていただいて、死んだものとしていただきなさいと言われるのですね。

 そして、そのイエスが派遣してくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方をお迎えし、
この方によって、〔父である神〕の御思いを心に置いていただいて(エレミヤ31:33)、
心を一新していただき(ロマ12:2)、
この、〔聖である霊〕と呼ばれる方によって心に来た〔父である神〕の御思いによって進む者としていただきなさい(ガラテヤ5:25)と。

 

 エジプトを出たイスラエルの民が、荒野の40年の生活で、
幕屋の上にある「雲の柱」によって導かれるとおりに、
主の命令によって宿営し、主の命令によって旅立ったように(民数記9:15~23)。

 私たちも、復讐は、「わたしが復讐する」と言われる方にお任せして、
自分にされた不当な扱いを赦し、善をもって悪に勝つ思いを心に置いていただいて、。
今日も。

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