風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

神の助けをいただいて、御思いを実現していく者に

恐れるな、わたしはあなたを贖う。
あなたはわたしのもの。
わたしはあなたの名を呼ぶ。
イザヤ書43:1

 私は神からの助けを
今日までいただいて来ました。
使徒26:22

 アモス書5:4~15
 民数記21:4~9(通読箇所)
    (ローズンゲン日々の聖句9;12)

 

天の神、主、「わたしはある」(I AMTHAT I AM)(出エジプト3:14)と名乗られる方が、イザヤをとおして言われるのですね。

「だが、今、ヤコブよ。
あなたを造り出した方、はこう仰せられる。
イスラエルよ。あなたを形造った方、はこう仰せられる。

「恐れるな。わたしがあなたを贖(あがな)ったのだ。
わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。
あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり、
川を渡るときも、あなたは押し流されない。
火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。
わたしがあなたの神、主、イスラエルの聖なる者、あなたの救い主であるからだ。
わたしは、エジプトをあなたの身代金とし、クシュとセバをあなたの代わりとする。
わたしの目には、あなたは高価で尊い
わたしはあなたを愛している」(イザヤ43:1~4新改訳)と。

その、天の神、主の愛の中にあって、助けと守りによって、今日まで、イエスを証しして来たと
パウロは言うのですね。

 また、アモスをとおしても言われます。

「わたしはある」という者、わたしを求めて生きよ。
すばる座やオリオン座を造り、
暗黒を朝に変え、昼を食らい夜にし、
海の水を呼んで、これを地の面に注ぐ方。
その名は(「わたしはある」という者)。
主は強い者を踏みにじり、要塞を破壊する。
彼らは門で戒めを与える者を憎み、正しく語る者を忌みきらう。
あなたがたは貧しい者を踏みつけ、彼から小作料を取り立てている。
それゆえあなたがたは切り石の家々を建てても、その中に住めない。
美しいぶどう畑を作っても、その酒を飲めない。
わたしは、あなたがたのそむきの罪がいかに多く、あなたがたの罪がいかに重いかを知っている。
あなたがたは正しい者をきらい、まいないを取り、門で貧しい者を押しのける。
それゆえ、このようなときには、賢い者は沈黙を守る。
それは時代が悪いからだ。

善を求めよ。悪を求めるな。そうすれば、あなたがたは生き、
あなたがたが言うように、万軍の主が、あなたがたとともにおられよう。
悪を憎み、善を愛し、門で正しいさばきをせよ。
万軍の神、、「わたしはある」という者と名乗られる方は、
もしや、ヨセフの残りの者をあわれまれるかもしれない」(アモス5:4、8~15新改訳)と。


イスラエルの民は、ホル山から、エドムの地を迂回して、葦の海の道に旅立ったのですが、
途中で我慢できなくなり、またも、神とモーセに逆らって言ったのだそうです。
「なぜ、あなたがたは私たちをエジプトから連れ上って、この荒野で死なせようとするのか。
パンもなく、水もない。私たちはこのみじめな食物に飽き飽きした」と。

そこでは民の中に燃える蛇を送られたので、蛇は民にかみつき、
イスラエルの多くの人が死んだのだそうです。
は、モーセに仰せられたのだそうです。
「あなたは燃える蛇を作り、それを旗ざおの上につけよ。
すべてかまれた者は、それを仰ぎ見れば、生きる」と。
そして、蛇にかまれた人が、モーセが造った青銅の蛇を仰ぎ見ると、生きた(民数記21:4~9)のだそうです。


私たちも、私たちの贖い(買い戻し)の代金として、ご自身のいのちを差し出し、
十字架の上に架けられたイエスを仰ぎ見ると、生きるのだそうです。
エスのいのちによって買い戻され、神のものとなることを受け入れ、認めて、
三日目に、死人のうちより復活し、天の、〔父である神〕の右の座に帰られたイエスが派遣されるもう一人の助け主、〔聖である霊〕と呼ばれる方をお迎えし、
この方、〔聖である霊〕と呼ばれる方が、心に置かれる、
私たち一人一人に対する〔父である神〕の御思いを受け入れ、

〔父である神〕と思いを同じにし、心を一つにして、
神の助けの中で生きるようになることができるのだそうですから。
神の子、家族の一員としていただいて。
今日も。

 

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