風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

清い唇を与えていただき、心を一つにして仕える者にと

わたしは諸国の民に、清い唇を与える。
彼らは皆、主の名を唱え、
一つ心となって主に仕える。
ゼファニア書3:9

 すべての舌が、
イエス・キリストは主である」と公に宣べて、
父である神をたたえるのです。
フィリピ書2:11

 ガラテヤ書5:22~26
 民数記24:1~25(通読箇所)

   (ローズンゲン日々の聖句9/19;火)

 イエスは、言っておられます。
「わたしは、自分から話したのではありません。
わたしを遣わした父ご自身が、わたしが何を言い、何を話すべきかをお命じになりました。
  ~~
わたしが話していることは、
父がわたしに言われたとおりを、そのままに話しているのです」(ヨハネ12:49~50)と。

 

私たち、「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になっている者は(創世記3:5:22)、
天の神、主に聞こうとせず、
自分の理性による、ことの善し悪しの判断のままに、自分の考えを口にする者です。

 けれども、天の神、主は、その、私自身である「生まれた時からの私」という霊を、
エスの十字架刑での処刑に合わせてくださって、
死んだもの、処刑済みのものとしてくださり、
そして、新しく、〔聖である霊〕と呼ばれる方をお遣わしくださって、
この方によって、受け入れる者の心に、〔父である神〕が、私たち一人一人に思っておられる御思いを置いてくださり、
エスと同じ関係、同じ在り方で生きる者にしてくださるのだそうです(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)。

 

それは、「血(血筋)によってではなく」(ヨハネ1:13)、諸国の民、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から(黙示録5:9)なのだそうです。
イエス・キリストは主である」と告白し、
〔父である神〕を愛し、自由意思で、自発的に、自分からすすんで、
〔父である神〕と心を一つにして行動するようにしていただけるのだそうです。

それで、パウロを通して言われるのですね。
「しかし、御霊の実(働きの現れ)は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、柔和、自制です。
  ~~
キリスト・イエスにつく者は、自分の肉(〔生まれた時からの私〕)という霊)を、
さまざまの情欲や欲望とともに、
十字架につけてしまったのです。
もし私たちが御霊によって生きるのなら、
御霊に導かれて、進もうではありませんか」(ガラテヤ5:22~25)と。


異教の占い師、エジプトから出て来たイスラエルを呪うために高額な報酬で雇われて来たバラムでさえもが、
〔聖である霊〕と呼ばれる方によって、呪うはずの、そのイスラエルを祝福し、
周辺の民族にこれから起こることを預言したのだそうです(民数記24:1~25)。

 天の神、主、「『わたしはあるという者」と名乗られる方は、
エスの十字架刑での処刑を通して来て下さる〔聖である霊〕と呼ばれる方によって、
私たちも、
〔父である神〕と一つ心にしてくださり、
御思いの中へと出て行かせてくださるのだそうです。
今日も。



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