風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

必要のすべてを満たし、安心して、眠らせてくださるのだそうです

朝早く起き、夜おそく休み、焦慮してパンを食べる人よ。
それは、むなしいことではないか。
主は愛する者に眠りをお与えになるのだから。
詩127:2

 私たちの神は、
ご自分の栄光の富に応じて、
キリスト・イエスによって、
あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます。
フィリピ書4:19

 歴代誌上29:9~18
 ルカ12:49~53(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句9/21;木)

 自分で生きていると思っている人は、自分一人の力で一生懸命に努力し、
朝早く起き、夜おそくまで働き、生活の糧を得るために焦慮、辛苦することになるようですね。
けれども、天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方は、
ご自分の栄光の富をもって、
キリスト・イエスによって、私たちに必要なものをすべて満たしてくださる方なのだそうです。
だから、自分一人で、何とかしなくっちゃあとやっているところから、向きを変え、
天の神、主のほうに目を向けて、
この方に相談しながらやっていきなさい、と勧めてくださっているようです。
そうしていると、山のように、目の前に立ちふさがっていた困難も(詩篇121:1)、
そうこうしているうちに、気がついてみると通り過ぎていたということにしてくださるのだそうです。


ダビデ王が、人々に、「私は全力を尽くして、私の神の宮のために、金、銀、青銅、鉄、木、しまめのう、色とりどりのモルタルの石のための象眼細工、あらゆる宝石、大理石を用意した。
そのうえ、私は神の宮を喜ぶあまり、私の宝としていた金銀をささげた。
きょう、だれか、みずから進んでその手にあふれるほど、主にささげる者はないだろうか」と呼びかけたのだそうです。
すると、民は、みずから進んでささげ、大いに喜んだのだそうです(Ⅰ歴代誌29:1~9新改訳)。
 そのように、天の神、主によって運ばれている者は、心に余裕ができ、喜びがあるようです。


エスは言われました。
「わたしが来たのは、地に火を投げ込むためです。
だから、その火が燃えていたらと、どんなに願っていることでしょう。
しかし、わたしには受けるバプテスマがあります。
それが成し遂げられるまでは、どんなに苦しむことでしょう」(ルカ12:49~50)と。

「わたしが受ける、受けなければならない、苦しいバプテスマ」。
私たち、人間のそむき、反逆の罪の中にどっぷりと浸され、沈められ、神に反逆した者と成り切って、
十字架刑で天と地の間に高く掲げられて処刑される。
しかし、そのことが成らなければ、「地に火が燃える」ことは成らなかったということのようです。
〔聖である霊〕と呼ばれる方が、地の、私たちのうちに来られて、
「火が燃える」ように、この方の働き、
〔父である神〕の御思いが私たちのうちに来て、私たちが〔父である神〕と一つ心になって行動していくようになる出来事が。

 イエスが十字架刑での処刑を受けられ、イエスが受けるべきバプテスマが完了している(ヨハネ19:30)今は、地に火は投じられ、燃えているのだそうです。

そして、受け取りさえすれば、その出来事は私たちにも始まるのだそうです。

 

 それで、これを受け取った者と、まだ受け取らない者とが、自分の思いによって生きるか、天の神、主の御思いを受け、自分の思いも天の神、主に受け取っていただきながら、神と心を一つにしながら生きるか、で、
家族の中でも分裂が起こるのだそうです(ルカ12:51~53)。

 けれども、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」(使徒16:31)とも、言っていただいていて、
対立する家族も、神の家族として、本当の意味で、再び得ることにしていたでけるのだそうです。

 天の神、主は、私たちにも、ご自分の栄光の富に応じて、イエスによって、必要のすべてを満たしてくださり、安心して眠れるようにしてくださるのだそうですから。
今日も。

[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]

 

[https://blog.with2.net/link/?1470390人気ブログランキングへ]