風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

兄弟をも愛する思いが、心に来て

神を愛する人は、兄弟をも愛すべきです。
これが、神から受けた掟です。
Ⅰヨハネ4:21(10/15の週の聖句)

 息絶えようとするとき、
私は主の御名を唱えた。
私の祈りがあなたに届いた。
ヨナ書2:8

 誘惑に陥らないように祈りなさい。ルカ22:40

 マルコ12:28~34
 詩5(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句10/15;Ⅲ日)

 ヨハネは手紙で書き送っています。
「神はそのひとり子を世に遣わし、
その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。
ここに、神の愛が私たちに示されたのです。
私たちが神を愛したのではなく、
神が私たちを愛し、
私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。
ここに愛があるのです。
愛する者たち、神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、
私たちもまた互いに愛し合うべきです。
神は私たちに御霊を与えて下さいました。
それによって、私たちが神のうちにおり、神も私たちのうちにおられることがわかります。
私たちは、御父が御子を世の救い主として遣わされたのを見て、
今そのあかしをしています。
だれでも、イエスを神の御子と告白するなら、
神はその人の内におられ、その人も神のうちにいます。
私たちは愛しています。
神がまず私たちを愛してくださったからです。
神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。
目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。
神を愛する者は、兄弟をも愛すべきです。
私たちはこの命令をキリストから受けています(Ⅰヨハネ4:9~21より、新改訳)、と。


紀元前750年頃のことと思われますが、
ヨナは、天の神、主から、アッシリア帝国の首都、ニネベに行くよう命じられます。
「立って、あの大きな町ニネベに行き、これに向かって叫べ。
彼らの悪がわたしの前に上って来たからだ。
もう40日すると、ニネベは滅ぼされる、と」(ヨナ1:2、3:4)。

 けれども、ヨナは、この預言によって、ニネベの人たちが、自分たちの罪を認め、悔い改めると、
あわれみ深い神は、敵国、ニネベの人たちを滅ぼさないで、赦すに違いない、と思い、
ヨッパから、船でタルシシュ(スペイン)へ逃げ出そうとしたのだそうです。
それで、天の神、主は、激しい暴風を起こしたので、船は難破しそうになり、
ヨナは、水夫たちに、自分を海に投げ込むように言ったのだそうです。
天の神、主は、大きな魚を用意して、海に投げ込まれたヨナを飲み込ませられたのだそうですが、
その、大きな魚の腹の中で、ヨナは神に祈って言ったのだそうです。
「私が苦しみの中から主にお願いすると、主は答えてくださいました。
私がよみの腹の中から叫ぶと、あなたは私の声を聞いてくださいました。
私はあなたの目の前から追われました。
しかし、もう一度、私はあなたの聖なる宮を仰ぎ見たいのです。
私の神、主よ。
あなたは私のいのちを穴から引き揚げてくださいました。
私のたましいがわたしのうちに衰え果てたとき、私は主を思い出しました。
私の祈りはあなたに、あなたの聖なる宮に届きました」(ヨナ2:1~7)、と。


エスは言われます。
「誘惑に陥らないように祈っていなさい」と。

また、律法学者が「すべての命令の中で、どれが一番大切ですか」と質問したのに対してに、申命記6:4とレビ記19:18を引用して、答えて言われました。


「一番大切なのはこれです。
イスラエルよ。聞け。
われらの神である主は、唯一の主である。
心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』
 次にはこれです。
『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』
この二つより大事な命令は、ほかにありません」(マルコ12:28~34)、と。


 私たち、イエスの十字架刑での処刑を、
私自身である「生まれた時からの私」という霊の処刑としていただき、
エスが派遣してくださる〔御霊〕、〔聖である霊〕と呼ばれる方をお迎えして、
この方が心に置いてくださる、
神を愛し、隣人を愛する〔父である神〕の愛の御思いに満たされていくくことができるのだそうです。

そして、ダビデがうたっているように、

「私の言うことを耳に入れてください。主よ。

私のうめきを聞き取ってください。

私の叫びの声を心に留めてください。

私の王、私の神。

私はあなたに祈っています。

主よ。朝明けに、私の声を聞いてください。

朝明けに、私は穴tなおために備えをし、

見張りをいたします。

 

あまたは悪を喜ぶ神ではなく、

わざわいは、あなたとともに住まないからです。


私は、豊かな恵みによって、

あなたの家に行き、

あなたをおそれつつ、

あなたの聖なる宮に向かってひれ伏します。

あなたの義によって私を導いてください。

私の前に、あなたの道をまっすぐにしてください。

あなたに身を避ける者がみな喜び、

とこしえまでも喜び歌いますように。

あなたが彼らをかばってくださり、

御名を愛する者たちが、

あなたを誇りますように。

主よ。まことに、あなたは正しい者を祝福し、

大盾で囲むように愛で彼らを囲まれます(詩篇5篇より、新改訳)、と。

 

この新しい週も。



[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]

 

[https://blog.with2.net/link/?1470390人気ブログランキングへ]