風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

以前よりも、さらに、栄えさせよう、と

わたしはお前たちを更に栄えさせる。
そのとき、お前たちは
わたしが主であることを知るようになる。
エゼキエル36:11

 私たちすべてのために、
その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、
御子と一緒にすべてのものを
私たちに賜らないはずがありましょうか。
ロマ8:32

 Ⅱテサロニケ3:6~13
 エゼキエル10:1~22(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句10/30;月)

 天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方は、エゼキエルを通して言われたのだそうです。

「お前たちを、以前にもまして、更に栄えさせる」と。

それは、普通の栄え方ではなく、
常識を超えた、神の関与がなければあり得ないような栄え方、
みんなが、神が栄えさせたのだと分かるような栄え方のようですね。


 使徒パウロは、書き送っています。
「私たちすべてのために、
ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、
どうして、御子といっしょに
すべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう」と。

 締まりのない、怠惰な生活、
自分で働かないで、おせっかいばかりをして、
人のパンをただで食べるような生活ではなく、
静かに、落ち着いて仕事をし、
自分で得たパンを食べるようにしてくださるのも(Ⅱテサロニケ3:6~13)、
神の恵みによること、神からの賜りものなのでしょうね。

 〔父である神〕は、私たちが落ち着いて仕事場出来るようにと、
御子と一緒に、すべてのもの、
働けるからだも、理性も、環境も、社会情勢も、
すべて整えて下さっているのだそうですから。
今日も。

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