風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

新しい天と新しい地を受け継ぐ者にしていただいて

見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。
初めからのことを思い起こす者はない。
それはだれの心にも上ることはない。
イザヤ書65:17

 主人の帰りを、
すぐに戸を開けようと
待っている人のようにしていなさい。
ルカ12:36

 Ⅰペテロ1:(8~9)10~13
 ゼカリヤ書1:1~6(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句12/4;月)

天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方が仰っているのだそうです。

「わたしは新しい天と新しい地を創造する」と。
それは今の世界のことをだれも思い出しもしないほど、素晴らしいのだそうです。

 それで、主人が婚礼から帰って来るのが夜中であろうと明け方であろうと、
すぐに戸を開けようと待っている人のように、
エスが私たちを迎えに、2度目に来られるその日を待ちながら、
一日一日を、落ち着いた生活をしていなさい(Ⅰテサロニケ4:11)と言っておられるのだそうです。

 昔の預言者たちも、この救いについて、
自分たちのうちにおられるキリストの御霊が、
キリストの苦難とそれに続く栄光を前もってあかしされたとき、
だれを、また、どのような時をさして言われたのか、熱心に尋ね、細かく調べたのだそうです。

 そして今や、それらのことは、
天から送られた聖霊によって、私たちに福音を語った人々を通して、
告げ知らされているのですね。


 ですから、心を引き締め、身を慎み、
イエス・キリストの現れのときにわたしたちにもたらされるという、
その恵みを、ひたすら待ち望んでいなさい(Ⅰペテロ1:10~13)、と勧められているのだそうです。

 万軍の主はこう仰せられる。
「わたしに帰れ。
そうすれば、わたしもあなたがたに帰る」と(ゼカリヤ1:3)。

 天での、神の独り子の座を後にして、
人として人の世に来られ、
私たちの身代わりになり、
私たちのそむきの責任のすべてをご自分の身に背負って、
十字架刑での処刑を受けてくださり、
墓に葬られ、
三日目に死人の中からよみがえり、
天の〔父である神〕の右の座に帰られたイエス

 そのイエスが派遣してくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方。
この方が、
〔父である神〕が私たち一人一人に思っておられる御思いを
私たちの心に置いてくださるので、
私たちの心にも、〔父である神〕の御思いが来るようになり、
私たちも、〔父である神〕と思いを同じくし、心を一つにして、
〔父である神〕が私たちを通してしようと思われることをしていくように
してくださっているのだそうですから。

 もはや、死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない、
神ご自身がともにいてくださる、素晴らしい御国を
わが故郷と望みつつ。

今日も。

 

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