風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

花婿を待つ花嫁のように、心燃やされながら

 私たちは、今日、
主に逆らい、主に背くつもりなど、
全くありません。
ヨシュア記22:29

 エマオの若者の言葉:
道で話しておられるとき、
また聖書を説明してくださったとき、
私たちの心は燃えていたではないか。
そして、時を移さず出発して、エルサレムに戻った。
ルカ24:32~33

 黙示録22:16、17、20、21
 マラキ書2:17~3:12(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句12/22;金)


 ルカ24:13~52(新改訳)によると、
エスの復活と昇天の様子は次のようだったのだそうです。

金曜日、弟子たちは、十字架刑で処刑されたイエスを墓に葬り、
安息日の土曜日が過ぎ、日曜日のこと、
二人のイエスの弟子が、失意の中、エマオ村に向かって歩きながら、
エルサレムで起こった出来事について話し合っていたのだそうです。

 話し合ったり、論じ合ったりしているうちに、
エスご自身が近づいて、彼らとともに道を歩いておられた。
しかしふたりの目はさえぎられていて、イエスだとはわからなかった。
エスは彼らに言われた。
「歩きながらふたりで話し合っているその話は、何のことですか。」
すると、ふたりは暗い顔つきになって、立ち止まった。
クレオパというほうが答えて言った。
エルサレムにいながら、近ごろそこで起こった事を、
あなただけが知らなかったのですか。」
エスが、「どんなことですか」と聞かれると、ふたりは答えた。
「ナザレ人イエスのことです。
この方は、神とすべての民の前で、行いにもことばにも力ある預言者でした。
それなのに、私たちの祭司長や指導者たちは、
この方を引き渡して、死刑に定め、十字架につけたのです。
しかし私たちは、この方こそイスラエルを贖ってくださるはずだ、と望みをかけていました。

 事実、そればかりでなく、その事があってから三日目になりますが、
また仲間の女たちが私たちを驚かせました。
その女たちは朝早く墓に行ってみましたが、
エスのからだが見当たらないので、戻って来ました。
そして御使いたちの幻を見たが、
御使いたちがイエスは生きておられると告げた、と言うのです。
それで、仲間の何人かが墓に行ってみたのですが、はたして女たちの言ったとおりで、
エスさまは見当たらなかった、というのです。」

 するとイエスは言われた。
「ああ、愚かな人たち。預言者たちの言ったすべてを信じない、心の鈍い人たち。
キリストは、必ず、そのような苦しみを受けて、
それから、彼の栄光に入るはずではなかったのですか。」
それから、イエスは、モーセおよびすべての預言者から始めて、
聖書全体の中で、ご自分について書いてある事がらを彼らに解き明かされた。

 彼らは目的の村に近づいたが、イエスはまだ先へ行きそうなご様子であった。
それで、彼らが、「いっしょにお泊りください。
そろそろ夕刻になりますし、日もおおかた傾きましたから」と言って無理に願ったので、
エスは彼らといっしょに泊まるために中に入られた。
彼らとともに食卓に着かれると、イエスはパンを取って祝福し、裂いて彼らに渡された。
それで、彼らの目が開かれ、イエスだと分かった。
するとイエスは、彼らには見えなくなった。

 そして、エルサレムに戻ってみると、十一使徒とその仲間が集まって、
「ほんとうに、主はよみがえて、シモン(ペテロ)にお姿を現された」と言っていた。
彼らも、道であったいろいろなことや、
パンを裂かれたときにイエスだと分かった次第を話した。

 これらのことを話している間に、イエスご自身が彼らの真ん中に立たれた。
彼らは驚き恐れて、霊を見ているのだと思った。
すると、イエスは言われた。
「なぜ、取り乱しているのですか。
どうして心に疑いを起こすのですか。
わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわたしです。
わたしにさわって、よく見なさい。
霊ならこんな肉や骨はありません。
わたしはもっています。
それでも、彼らは、うれしさのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、
エスは、「ここに何か食べ物がありますか」と言われた。
それで、焼いた魚を一切れ差し上げると、イエスは、彼らの前で、それを取って召しあがった。

 さて、そこでイエスは言われた。
「わたしがまだあなたがたといっしょにいたころ、あなたがたに話したことばはこうです。
わたしについてモーセの律法と預言者と詩篇とに書いてあることは、
必ず全部成就するということでした。
そこで、イエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、こう言われた。
「次のように書いてあります。
キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、
その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、
エルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。
あなたがたは、これらのことの証人です。
さあ、わたしは、わたしの父の約束してくださったものをあなたがたに送ります。
あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都(エルサレム)にとどまっていなさい。」

それから、イエスは、彼らをベタニヤまで連れて行き、手を上げて、祝福された。
そして祝福しながら、(上げられ、)彼らから離れて行かれ(雲に包まれて、見えなくなられ)た。


黙示録22:16、17、20、21には、次のように記されています。

「わたし、イエスは御使いを遣わして、諸教会について、これらのことをあかしした。

わたしはダビデの根、また子孫、輝く明けの明星である。」
御霊も花嫁も言う。

「来て下さい。」

これを聞く者は、「来てください」と言いなさい。

渇く者は来なさい。

いのちの水が欲しい者は、それをただで受けなさい。

これらのことをあかしする方がこう言われる。

「しかり。わたしはすぐに来る。」

アーメン。主イエスよ。来てください。

主イエスの恵みがすべての者とともにあるように。アーメン、と。


 マラキ書2:17~3:12は、次のようです。

 あなたがたは言う。

「悪を行う者もみな、主の心にかなっている。
さばきの神はどこにいるのか」と。

 「見よ。わたしは使者を遣わす。彼はわたしの前に道を整える。
あなたがたの尋ね求めている主が、突然、その神殿に来る。
だれが、この方の来られる日に耐えられよう。
だれが、この方の現れるとき立っていられよう。
まことにこの方は、精錬する者の火、布をさらす者の灰汁のようだ。
この方は銀を精錬し、これをきよめる者として座に着き、
レビの子らをきよめ、彼らを金のように、銀のように純粋にする。
わたしは、さばきのために、あなたがたのところに近づく。
わたしは、ためらうことなく証人となり、
呪術者、姦淫を行う者、偽って誓う者、
不正な賃金で雇い人をしいたげ、やもめやみなしごを苦しめる者、
在留異国人を押しのけて、わたしを恐れない者たちに、向かう。
わたしのところに帰れ。そうすれば、わたしもあなたがたのところに帰ろう。
すべての国民は、あなたがたをしあわせ者と言うようになる。
あなたがたが喜びの地となるからだ」と万軍の主は仰せられる」、と。

 

 私たち、「神のひとりのようになり、善悪を知る者」であって、
主に逆らい、背く者ですが、
この方に立ち返り、
私に代わって十字架に架かり、
三日目に死人の中から新しい霊のからだに復活し、
天の〔父である神〕の右の座に帰られたイエスが王として来られる、
その日を見つめつつ、
「主イエスよ、来てください」と心燃やされつつ、
〔聖である霊〕と呼ばれる方によって、
〔父である神〕の御思いを心に置いていただいて、 

御思いの中に出て行くようにしていただけるのだそうです。
今日も。