風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

妬むほどの、愛の熱情をもって

あなたの神、主は
焼き尽くす火であり、
熱情の神だからである。
申命記4:24

 私たちが神を愛したのではなく、
神が私たちを愛して、
私たちの罪を償
(つぐな)ういけにえとして
御子をお遣わしになりました。
ここに愛があります。
Ⅰヨハネ4:10

 ルカ2:(1~14)15~20
 テトス書3:4~7
 詩2(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句12/25;月・降誕祭)

 天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方は、
妬むほどの、
焼き尽くす火のような熱情をもって
私たち一人一人を愛してくださっている方なのだそうです。

それで、私たちはこの方を無視し、背を向けるばかりだったのに、
見捨てず、
なお、私たちと一つになろうと、
私たちを求め続けてくださっているのだそうです。

〔父である神〕は、〔御子である神〕を人間として、人間の世界に遣わされ、
私たちの「的外れ」の責任をこの方に負わせて、十字架刑で処刑し、
私たちが受けるはずの処罰をこの方に負わせて、
私たちに、〔聖である霊〕と呼ばれる方が来る道を開いてくださったのだそうです。

 〔聖である霊〕と呼ばれる方によって、
私たちの心に、
ご自身が私たち一人一人に思っておられる御思いを置き、
受け入れる者がご自分と同じ思い、一つ心になって生きていくように、と。

 イエスが、マリヤの胎を通して人となられ、
人の世に来られたときの様子を、
ルカは次のように記しています。

野宿で、羊の群れの夜番をしていた、
貧しい、社会的にも低く扱われていた羊飼いに
天使が現れ、言ったのだそうです。
「恐れることはありません。
今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。
きょうダビデの町(ベツレヘム)で、
あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。
この方こそ主キリストです。
あなたがたは、布にくるまって飼い葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。
これが、あなたがたのためのしるしです」、と。

御使いたちが彼らを離れて天に帰ったとき、
羊飼いたちは互いに話し合った。
「さあ、ベツレヘムに行って、
主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう。」

そして急いで行って、
マリヤとヨセフと、飼い葉おけに寝ておられるみどりごとを捜し当てた。
それを見たとき、羊飼いたちは、
この幼子について告げられたことを知らせた。
それを聞いた人たちはみな、羊飼いの話したことに驚いた。
しかしマリヤは、これらのことをすべて心に納めて、思い巡らしていた。
 羊飼いたちは、見聞きしたことが、全部御使いの話しのとおりだったので、
神をあがめ、賛美しながら帰って行った(ルカ2:8~20新改訳)、と。

このイエスについて、
〔父である神〕は、
「あなたは、わたしの子。
きょう、わたしがあなたを生んだ。
わたしに求めよ。
わたしは国々をあなたへのゆずりの地として与え、
地をその果て果てまで、あなたの所有として与える。
あなたは鉄の杖で彼らを打ち砕き、
焼き物の器のように粉々にする」(詩篇2:7~9)、
と言われているのだそうです。

 使徒パウロは、この、イエスによって、
〔父である神〕が私たちに差し出していてくださる出来事を
次のように書いています。

 

 しかし、私たちの救い主なる神のいつくしみと人への愛が現れたとき、
神は、私たちが行った義のわざによってではなく、
ご自分のあわれみのゆえに、
聖霊による、新生と更新との洗いをもって
私たちを救ってくださいました。
神は、聖霊を、
私たちの救い主なるイエス・キリストによって、
私たちに豊かに注いでくださったのです。
それは、私たちがキリストの恵みによって義と認められ、
永遠のいのちの望みによって、相続人となるためです(テトス3:4~7)、と。

 だから、幸いなのだそうです。
すべて、この方に身を避ける人は(詩篇2:12)。
今日も。