風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

すべての人を神の子にしようと

エッサイの株から一つの芽が萌え出で、
その根からひとつの若枝が育つ。
イザヤ書11:1

 しかし、時が満ちると、
神は、その御子を女から、
しかも律法のもとに生まれた者として
お遣わしになりました。
それは、律法の支配下にある者を贖い出して、
私たちを神の子となさるためでした。
ガラテヤ書4:4~5

 マタイ2:13~18
 ヨハネ1:6~8(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句12/28;木)

 イエスが生まれる、およそ740年ほど前のこと、
天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方は、
イザヤを預言者として立て、預言して言われたのだそうです。
「エッサイの根株から一つの新芽が萌え出で、若枝が出て実を結ぶ」、と。

そして、イエスは、エッサイの息子のダビデ王の子孫であるマリヤ
(ルカ3:23~32 ヘリは、マリヤの父、夫ヨセフには義父)と
ヨセフ(マタイ1:6~16)の息子として、人の世に来られたのだそうです。
律法を持つ民の中に。

 そして、ホセアの預言に、
「わたしの子をエジプトから呼び出した」(ホセア11:2)とあるように、
赤ん坊のイエスは、ヘロデ大王の殺意を逃れてエジプトに逃げ、
ヘロデが死んだ後、御使いのお告げを受けて、イスラエルの地に帰り、
ガリラヤのナザレに住まれたのだそうです(マタイ2:13~15、19~23)。

 ヘロデは、イエスを殺そうとして、
ベヅレヘム近辺の2歳以下の男の子をひとり残らず殺させ、
エレミヤ書31:15に書かれてある、
「聞け。ラマで聞こえる。
苦しみの嘆きと泣き声が。
ラケルがその子らのために泣いている。
慰められることを拒んで。
子らがいなくなったので、その子らのために泣いている」
というようなことも起こったのだそうです(マタイ2:18)。

 また、イエスが30歳のころ、
キリスト(神の子・救い主)としての活動を始める直前、
イザヤ書40:3にある、
「荒野で叫ぶ者の声がする。
『主の道を整えよ。
荒れ地で、私たちの神のために。
大路を平にせよ』との預言のように、
「王の前に道を備える者」として
バプテスマのヨハネが宣教を始めたのだそうです(ヨハネ1:6~8)。

エスは、律法の支配下にあって、
「的外れ」の存在のゆえに滅びるはずの私たちの身代わりとなり、
律法に示されているとおりに、
贖いの小羊としてご自分のいのちを差し出し、
神に呪われた者として、
十字架刑で天と地との間に掲げられてくださったのだそうです。
それで、受け入れる者は処罰が終わっている者としていただけるのだそうです。

 そして、もう一人の方、
〔聖である霊〕と呼ばれる方を受け入れる者に派遣してくださって、
この方によって、受け入れる者に「神の子」の身分を与え、
〔父である神〕の御思いを心に置いてくださり、
受け入れる者が神の家族として、
〔父である神〕と思いを一つにし、
心を一つにして生きていくようにしてくださるのだそうです。
今日も。