風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

神の霊によって導かれる者に

神の霊によって導かれる者は、

神の子なのです。ロマ書8:14(1/7の週の聖句)

主はモーセに言われた。
「わたしは彼らのために、
同胞の中から
あなたのような預言者を立てて、
その口にわたしの言葉を授ける。」
申命記18:18

 フィリポはナタナエルに出会って言った。
「私たちは、モーセが律法に記し、
預言者たちも書いている方に出会った。
それはナザレの人で、ヨセフの子イエスだ。」
ヨハネ1:45

 マタイ3:13~17
 詩96(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句1/7;Ⅰ日)

 霊が人間を去れば、
人間は自分の属する土に帰り、
その日、彼の思いも滅びる。
詩146:4

 あなたがたのうち
だれが、思い悩んだからといって、
寿命をわずかでも延ばすことができようか。
マタイ6:27

 使徒10:37~48
 ヨハネ3:1~21(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句1/8;月・祝)

 

詩篇の作者は言います。
「君主たちに頼ってはならない。
救いのない人間の子らに。
霊が出て行くと、人はおのれの土に帰り、
その日のうちに彼のもろもろの計画は滅び失せる。
幸いなことよ。
ヤコブの神を助けとし、その神、主に望みを置く者は。
主は天と地と海とその中のいっさいを造った方。
とこしえまでも真実を守り、
しいたげられる者のためにさばきを行い、
飢えた者にパンを与える方。
主は捕らわれ人を解放される(詩篇146:3~7新改訳)、と。

 人間の中の力ある者に頼っても、
また、自分自身に頼っても、
私たち、自分の寿命をわずかでも延ばすことができない者、
やがて土に帰る者なのですね。

しかし、人々が(十字架の)木にかけて殺したイエスを、
神は三日目によみがえらせ、
弟子たちに現れさせ、
いっしょに食事もするようにし、
弟子たちをイエスの復活の証人として立て、
このイエスこそ生きている者と死んだ者とのさばき主として、
神によって定められた方であることを宣べ伝え、
あかしをするようにされたのだそうです。
この方を信じる者はだれでも、
その名によって罪の赦しが受けられ、
約束の、〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣していただけ、
神の霊と呼ばれるこの方によって心に神の御思いを置いていただけて、
その御思いによって導かれる者となるのだそうです。

 「神の子」の身分をいただけて、
神の家族として生きるようにしていただけ(使徒10:37~48)、
〔聖である霊〕と呼ばれる方によって新しく生まれれた者、
思いを神と一つにして生きる生き方をする者に。
今日も。