風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

神の霊によって、主を畏れ、まことをもって主に仕える者に

主を畏れ、
心を尽くし、
まことをもって
主に仕えなさい。
主がいかに偉大なことをあなたに示されたかを
悟りなさい。
サムエル記上12:24

 その憐みは代々に限りなく、
主を畏れる者に及びます。
ルカ1:50

 

 申命記4:5~13

 申命記2:16~25(通読箇所)
     (ローズンゲン日々の聖句1/15;月)

 モーセを指導者としてエジプトを出たイスラエルの民。
約束の地を目の前にするカデシュ・バルネアに至り、
天の神、主の「上れ。占領せよ」との言葉よりも、
自分たちの理性による判断で、
「主は私たちを憎んでおられるので、
私たちをエジプトの地から連れ出して
エモリ人の手に渡し、
私たちを根絶やしにしようとしておられる」とつぶやき、
エジプトに帰ろうとして、主の言葉に従おうとしなかったのだそうです。

 それで、荒野での40年を過ごすことになり、
その当時の戦士だった人が死に絶えたとき、
主は仰せられたのだそうです。
「北に向かって行け」(申命記2:3)と。

 そして、アルノン川を渡った民にモーセは語ったのだそうです。
「今、イスラエルよ。
あなたがたが行うようにわたしの教えるおきてと定めとを聞きなさい。
そうすれば、あなたがたは生き、
あなたがたの父祖の神、主が、
あなたがたに与えようとしておられる地を所有することができる。
見なさい。
私は、私の神、主が私に命じられたとおりに、
おきてと定めとをあなたがたに教えた。
あなたがたが、入って行って、所有しようとしているその地の真ん中で、
そのように行うためである。

 これを守り行いなさい。
そうすれば、それは国々の民に、
あなたがたの知恵と悟りを示すことになり、
これらのすべてのおきてを聞く彼らは、
『この偉大な国民は、確かに知恵のある、悟りのある民だ』と言うであろう。
まことに、私たちの神、主は、
私たちが呼ばわるとき、いつも、近くにおられる。
このような神を持つ偉大な国民が、どこにあるだろうか。
このみおしえのすべてのように、
正しいおきてと定めとを持っている偉大な国民が、
いったい、どこにあるだろう。
ただ、あなたは、ひたすら慎み、用心深くありなさい。
あなたが自分の目で見たことを忘れず、一生の間、
それらがあなたの心から離れることのないようにしなさい。
あなたはそれらを、あなたの子どもや孫たちに知らせなさい」(申命記4:1~9新改訳)、と。

 そして、そのあとのイスラエルの民の700年ほどの歴史を踏まえたうえで、
天の神、主は言われます。

見よ。その日が来る。
  ――主の御告げ――
その日、わたしは、イスラエルの家とユダの家とに、
新しい契約を結ぶ。
その契約は、わたしが彼らの先祖の手を握って、
エジプトの国から連れ出した日に、彼らと結んだ契約のようではない。
わたしは彼らの主であったのに、彼らはわたしの契約を破ってしまった。
  ――主の御告げ――
彼らの時代の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうだ。
  ――主の御告げ――
わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、
彼らの心にこれを書きしるす(エレミヤ31:31~33)。


あなたがたに新しい心を与え、
あなたがたのうちに新しい霊を授ける。
わたしの霊をあなたがたのうちに授け、
わたしのおきてに従って歩ませ、
わたしの定めを守り行わせる(エゼキエル36:26~27)、と。

そして、それからさらに700年ほどの時を経て、
預言のことばのとおりに、
神の御子である方が「女の子孫」(創世記3:15)として人の世に宿られ、
およそ、33歳の頃、すべての人の身代わりとなり、
十字架刑での処刑を受けられたのだそうです。

 そして、墓に葬られ、三日目の日曜日の朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活され、
40日に渡って何度も弟子たちに現れ、神の国について語った後、
弟子たちの見ている前で、
オリーブ山から、天の父である神の右の座に帰られたのだそうです。

そして、10日後のペンテコステ(五旬節)、律法授与の記念日に、
待ち望んでいた弟子たち120人ほどに、
約束の〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣され、
弟子たちはこの方が語らせられるとおりに、他のことばで話し出し、
〔父である神〕の御思いと心を一つにして生きるようになったのだそうです。

神の霊によって、
主を畏れ、心を尽くし、
まことをもって主に仕える生き方が。
私たちにも。
今日も。