風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

人の命は、財産によって、どうすることもできないから

あなたは隣人のものを
一切欲しがってはならない。
申命記521

 イエスの言葉:
どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。
有り余るほどの物を持っていても、
人の命は
財産によって
どうすることもできないからである。
ルカ1215

 ロマ書
931108
 申命記31229(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句
1/16;火)

 天の神、主、
「『わたしはある』という者」と名乗られる方が、仰るのですね。
「あなたは隣り人の妻を欲しがってはならない。
あなたの隣人の家、畑、男奴隷、女奴隷、牛、ろば、
すべてあなたの隣人のものを、欲しがってはならない」(申命記
521新改訳)、と。

 自分で得ようとしないで、
わたしに求めて来なさい、と仰っているようです。

 ダビデが、忠実な部下ウリヤを
わざと激戦地に送って戦死させ、
その妻、バテ・シェバを取ったとき、
天の神、主は、預言者ナタンをダビデのところに遣わして言われたのだそうです。
イスラエルの神、主はこう仰せられる。
『わたしはあなたに油をそそいで、イスラエルの王とし、
サウルの手からあなたを救い出した。
さらに、あなたの主人の家を与え、
あなたの主人の妻たちをあなたのふところに渡し、
イスラエルとユダの家も与えた。
それでも少ないというのなら、
わたしはあなたにもっと多くのものを増し加えたであろう。
それなのに、どうしてあなたは主の言葉をさげすみ、
わたしの目の前に悪を行ったのか』」(Ⅱサムエル記
1279)、
と言われたのだそうですから。

 群衆の中のひとりが、エスに、
「先生。私と遺産を分けるように私の兄弟に話してください」と言ったとき、
エスは言われたのだそうです。
「どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。
なぜなら、いくら豊かな人でも、
その人のいのちは財産にあるのではないからです」と。

 そして、あるたとえを話されました。
「ある金持ちの畑が豊作だったので、その人は、心の中で言った。
どうしよう。しまっておく場所がない。
そうだ。こうしよう。
もっと大きな倉を建て、穀物や財産をみなそこにしまい、
そして、自分のたましいにこう言おう。
『たましいよ。
これから先、何年分もいっぱい物がためられた。
さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。』

 しかし、神は彼に言われた。
『愚か者。
おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。
そうしたら、おまえが用意した物は、
いったいだれのものになるのか。』

自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです」と。

 そして、さらに言われたのだそうです。
「だから、わたしは言います。
いのちのことで何を食べようかと心配したり、
何を着ようかと心配し、気をもむことはやめなさい。
烏に食べ物を与え、
ゆりの花をこのように装ってくださる神は、
それ(食べ物や着る物)があなたがたにも必要なことを知っておられます。
神の国(統治、支配)を求めなさい。
そうすれば、これらの物は、それに加えて与えられます」(ルカ
121331)と。

 私たちの身代わりとなって
十字架刑での処刑を受けてくださり、
死んで、墓に葬られ、
陰府、地の奥底まで下り、
三日目に死人の中より復活して、
40日に渡って弟子たちに何度も現れて神の国のことを語り、
オリーブ山から、
弟子たちの見ている前で上げられ、
雲に迎えられて見えなくなられたイエス使徒
139)。
その〔父である神〕の右の座に帰られたイエスが派遣してくださる
〔聖である霊〕と呼ばれる方。
この方が心に置いてくださる〔父である神〕の御思い。
その御思いについて行ってほしいのだそうです。

必要を神に申し上げ、知っていただきながら、
「みこころが天で行われるように、
この私を通しても実現しますように」と。

 天の神、主は、
私たち一人一人を通しても、
働かれるのだそうですから(申命記
322)。
今日も。