風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

一つたりとも、むなしく、地に落ちることのない御言葉なのだそうです。

主はサムエルと共におられ、
その言葉は一つたりとも
地に落ちることはなかった。サムエル記上3:19

 パウロの手紙:
 主の言葉があなたがたの所から出て、
マケドニア州やアカヤ州に響き渡っただけでなく、
神に対するあなたがたの信仰が
至る所で伝えられているので、
何も付け加えて言う必要はないほどです。
Ⅰテサロニケ1:8

 ヨハネ1:43~51
 申命記6:1~9(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句1/23;火)

サムエルを通して語られる、
天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方の御言葉は、
そのとおりに成り、
一つとして、むなしく、地に落ちることはなかったのだそうです。

それで、全イスラエルは、一番北のダンから、一番南にあるベエル・シェバまで、
サムエルが主の預言者に任じられたことを知った、
認めたのだそうです。

 テサロニケの人々から出た天の神、主の言葉は、
マケドニアやアカヤ(ギリシャ)に響き渡り、
彼らの神に対する信仰が至る所で伝えられるようになったので、
パウロは、何も付け加える必要がないほどだ、というのですね。

エスの言葉も、そのまま真実であり、
エスについて、「ナザレから何の良い者が出るだろう」と否定した
ナタナエル(バルトロマイと同一人物?)も、イエスに会い、
エスの言葉に触れて、イエスがキリストであることを認め、
「先生。あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です」(ヨハネ1:43~50)
と告白したのだそうです。

 イエスの言葉も、一つたりとも、
むなしく地に落ちることはなかったのだそうです。

 イエスは、自分からは何事もせず、
ただ、〔父である神〕が言われるとおりを
そのまま話しておられた方(ヨハネ8:28、12:30)、
父と完全に一つになっておられる方なのだそうですから。

天の神、モーセを通しても主は言われます。

イスラエルよ。聞いて、守り行いなさい。
そうすれば、あなたはしあわせになり、
あなたの父祖の神、主があなたに告げられたように、
長く生き、乳と蜜の流れる国で大いにふえよう。

 聞きなさい。イスラエル
主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方は、私たちの神。
主は唯一の方である。
心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。
私がきょう、あなたに命じるこれらのことばを、
あなたの心に刻みなさい(申命記6:1~6)、と。

 モーセの時には、心に刻むために、
子どもたちに良く教え、これを唱え、
しるしとして手に結び付け、
記章として額の上に置き、
家の門柱と門に書きしるして(申命記6:6~9)、努力したのだそうです。

 しかし、イエスが、私たちの身代わりになって
十字架刑での処刑を受けてくださった今は、

 

その、死んで葬られ、三日目に死人のうちより新しい霊のからだに復活し、
40日に渡って何度も弟子たちに現れて神の国について語った後、
オリーブ山から、弟子たちの見ている前で上げられ、雲に包まれて見えなくなられた、
そのイエスが、〔父である神〕の右の座にあって派遣してくださる
〔聖である霊〕と呼ばれる方。

この方が、受け入れる者の心に
〔父である神〕の御思いを置いてくださり、
書きしるしてくださるのだそうです。
一つとして、むなしく地に落ちることのない御思い、御言葉を。
今日も。