風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

気前のいい、慈しみ深く、憐れみに満ちた方を待ち望んで

私たちは、
あなたの深い憐みのゆえに、
伏して、嘆願の祈りをささげます。
ダニエル書9:18

 主を待ち望め、
雄々しくあれ、心を強くせよ。
主を待ち望め。
詩27:14

 あなたがたは、
ヨブの忍耐について聞き、
主が最後にどのようにしてくださったかを知っています。
主は慈しみ深く、
憐れみに満ちた方だからです。
ヤコブ書5:11

 マタイ20:1~16a
 詩119:73~80(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句1/28;Ⅳ日)

 バビロン帝国が滅ぼされ、
メディヤ人ダリヨスが、カルデヤ人の王となったその元年、
ダニエルは、預言者エレミヤにあった神である主の言葉によって、
エルサレムの荒廃が終わるまでの年数が70年であることを、文書によって悟り、
顔を神である主に向けて祈り、
断食し、灰をかぶって、願い求めたのだそうです。


 「このわざわいはすべて、
モーセの律法に書かれているように、私たち上に下りましたが、
私たちは、不義から立ち返り、
あなたの真理を悟れるよう、
私たちの神、主に、お願いもしませんでした。
主はその災いを私たち上に下しました。
私たちの神、主のみわざは、すべて正しいのです。
私たちが、御声に聞き従わなかったからです。

 しかし今、私たちの神、主よ。
あなたは力強い御手をもって、あなたの民をエジプトの地から連れ出し、
今日あるとおり、あなたの名を上げられました。
私たちは罪を犯し、悪を行いました。
主よ。あなたのすべての正義のみわざによって、
どうか御怒りと憤りを、
あなたの町エルサレム、あなたの聖なる山からおさめてください。
私たちの罪と私たちの先祖たちの悪のために、
エルサレムとあなたの民が、
私たちを取り囲むすべての者のそしりとなっているからです。

 私たちの神よ。今、あなたのしもべの祈りと願いとを聞き入れ、
主ご自身のために、御顔の光を、あなたの荒れ果てた聖所に輝かせてください。
わたしの神よ。
耳を傾けてください。
目を開いて私たちの荒れすさんださまと、
あなたの御名がつけられている町をご覧ください。
私たちが御前に伏して願いをささげるのは、
私たちの正しい行いによるのではなく、
あなたの大いなるあわれみによるのです。
主よ。聞いてください。
主よ。お赦しください。
主よ。心に留めて行ってください。
私の神よ。あなた自身のために遅らせないでください。
あなたの町と民とには、あなたの名がつけられているからです」(ダニエル9:13~19新改訳)、と。


ウツの地にいたヨブという人。
この人は潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっていたのだそうです。
そして、天の神、主からの祝福を受け、
7人の息子、3人の娘、
そして、多くの羊、らくだ、牛、ろば、しもべを持っていたのだそうです。

ある日、神である主の前に立ったサタンは、ヨブについて言ったのだそうです。
「ヨブはいたずらに神を恐れましょうか。
あなたは彼と、その家とそのすべての持ち物との回りに、垣を巡らしたではありませんか。
あなたが彼の手のわざを祝福されたので、彼の家畜は地にふえ広がっています。
しかし、あなたの手を伸べ、彼のすべての持ち物を打ってください。
彼はきっと、あなたに向かってのろうに違いありません」と。

 そこで、神である主は、サタンに仰せられた。
「では、彼のすべての持ち物をおまえの手に任せよう。
ただ彼の身に手を伸ばしてはならない」。

それで、サタンはヨブを打ち、
ヨブは一日のうちに、全財産と息子、娘を失ったのだそうです。

 そのとき、ヨブは立ち上がり、
その上着を引き裂き、頭をそり、地にひれ伏して礼拝し、言った。
「私は裸で母の胎から出て来た。
また、裸で私はかしこに帰ろう。
主は与え、主は取られる。
主の御名はほむべきかな」。(ヨブ1:1~21)


サタンは、また、神である主に言った。
「皮の代わりには皮をもってします。
人は自分のいのちの代わりには、すべての持ち物を与えるものです。
しかし、今あなたの手を伸べ、彼の骨と肉とを打ってください。
彼はきっと、あなたをのろうに違いありません。」

 

 主はサタンに仰せられた。
「では、彼をおまえの手に任せる。
ただ彼のいのちには触れるな」。


 サタンは主の前から出て行き、
ヨブの足の裏から頭の頂まで、悪性の腫物で彼を打った。
ヨブは土器のかけらを取って自分の身をかき、また灰の中に座った。
すると彼の妻が彼に言った。
「それでもなお、あなたは自分の誠実を堅く保つのですか。
神をのろって死になさい。」
しかし、彼は彼女に言った。
「あなたは愚かな女が言うようなことを言っている。
私たちは幸いを神から受けるのだから、
わざわいをも受けなければならないではないか。」(ヨブ2:1~10)

 

 そして、ヨブは自分の潔白を主張し続け、
なぜ、このような目に会うのか、神と論じてみたいと、
神に叫び続けたのだそうです(ヨブ3~31章)。

 

 そして、ついに、神が現れて語ってくださり(38~41章)、
ヨブは神である方の主権を認めて、
神である主に答えて言ったのだそうです。
「あなたには、すべてができること、
あなたは、どんな計画も成し遂げられることを、
私は知りました。

 

 『知識もなくて、摂理をおおい隠す者はだれか。』
まことに、私は、自分で悟りえないことを告げました。
自分で知り得ない不思議を。

 

 『さあ聞け。わたしが語る。
わたしがあなたに尋ねる。わたしに示せ。』

私はあなたのうわさを耳で聞いていました。
しかし、今、この目であなたを見ました。
それで私は自分をさげすみ、ちりと灰の中で悔いています」(42:1~6)、と。

 そして、神である主は、ヨブの繁栄を元どおりにされ、
ヨブの所有物を
2倍にされ、
地上に
7人の息子と3人の娘、
天に、
7人の息子と3人の娘をもつものとしてくださったのだそうです(421015)。

 このヨブの忍耐を覚え、
心を強くして、神である主を待ち望み続けるようにと言われるのですね。

 天の神、主、「『わたしはある』という者と名乗られる方は、
夕方、5時ごろに雇われてぶどう畑に行った者にも、
「ただ私としては、この最後の人たちにも、同じだけ上げたいのです」と、
朝から働いたものと同じ賃金を払ってくれる
気前のいいぶどう園の主人のように(マタイ20:1~16)、
慈しみ深く、あわれみに満ちた方なのだそうですから。
今日も。