風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

私たちに、新しい霊によって、新しい心を創造し

 わたしは彼らに一つの心を与え、
彼らの中に新しい霊を授ける。
エゼキエル書11:19

 キリストと結ばれる人はだれでも、
新しく創造された者なのです。
古いものは過ぎ去り、
新しいものが生じた。
Ⅱコリント5:17

 ルカ19:1~10
 申命記9:1~14(通読箇所)
    (ローズンゲン日々の聖句1/29;月)

 天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方は、
〔父である神〕、〔御子である神〕、〔聖である霊〕と呼ばれる神が、
それぞれ、全知、全能、永遠不変の方でありながら、
愛し合い、尊敬し合っておられて、
互いを大切に思い合い、
自分の思いよりも相手の思いが成ることを願って、
自由意思で、自発的に、思いを同じにし、
心を一つにしておられる方なのだそうです。

 それで、御子である神は、全知、全能の方でありながら、
「自分からは何事もせず、
ただ、〔父である神〕の御思いのとおりを話し、
御思いのとおりに行動しておられるのだそうです(ヨハネ8:28、12:20)。

 そして、〔聖である霊〕と呼ばれる方は、
その〔御子である神〕、イエスの思いを受けて行動し、
御子イエスの栄光を現そうとされる方なのだそうです(ヨハネ16:14)。

 そして、〔父である神」、〔御子である神〕は、
〔聖である霊〕と呼ばれる方をねたむほどに愛し慕っておられ(ヤコブ4:5)、
この方を汚す、冒涜する者は赦さない(マルコ3:29)と仰っておられるのですね。

 そして、〔父である神〕は、そのご自身の愛の中に加わり、
愛し合うゆえに、自由意思で、自発的に心を一つにする者を、と願われて、
私たち人間を創造されたのだそうです。

 けれども、最初の人、アダムとエバは、
「『わたしはある』という者」と名乗られる方と、心を一つにしていく場に留まることを止め、
「神のひとりのようになり、善悪を知る者」となって、
自分の理性の善し悪しの判断に従って生きる道を選び取ったのだそうです(創世記3:5、22)。

 それで、アダムとエバの子孫である私たちも、
「神のひとりのようになり、善悪を知る者」、
天の神、主に対抗する者として生まれてきているのだそうです。

 それで、「『わたしはある』という者」と名乗られる方は、
ご自身の御思いを言葉で、文字で伝えても、心を一つに出来ない私たち人間に、
新しい霊によって新しい心を与え、心の思いのほうから、一つになるよう、
道を開いてくださっているのだそうです。

 〔父である神〕は、人となられた〔御子である神〕イエスが、
私たちに代わって受けてくださった十字架刑での処刑を私の処刑と見なしてくださり、
「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になっている〔生まれたときからの霊〕を
処刑されたもの、死んだものとしてくださるのだそうです。

 そして、受け入れる者に、御子イエスを通して〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださり、
この方によって私たちの心に〔父である神〕の御思いを置いてくださって、
受け入れる者が〔父である神〕の御思いを思い、一つ心になるようにしてくださるのだそうです。

 エリコの町の取税人の長ザアカイが、
エスが声をかけられ、家に泊まられたことによって、
心を変えられ、
自由意思で、自発的に、自分から、
「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。
また、だれからでも、私がだまし取った物は、4倍にして返します」と言い出したように(ルカ19:1~10)。
私たちにも。
今日。