風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

私たちの知るところは、ほんの一部分にすぎないのだそうですから

人が神に知識を授けえようか。
彼は高きにいまし、
裁きを行われる。
ヨブ記21:22

 皆互いに謙遜を身につけなさい。
なぜなら、「神は、高慢な者を敵とし、
謙遜な者に恵みをお与えになる」からです。
Ⅰペテロ5:5

 マラキ書3:13~18
 申命記11:1~12(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句2/2;金)

 私たちは、
人が神に知識を授けようとするようなことなど、ないと思います。

 けれども、私たちは、祈りのかたちをとっているにしろ、
天の神、主に、自分の思っているとおりにするように、と迫っているのですね。
自分の理性による善悪の判断が、神の判断よりも善いから、
あなたは、私の思っているとおりにするべきである、と。

私たちは、世の中の様を見て思います。
「神に仕えることはむなしいことだ。
神の戒めを守っても、万軍の主の前で悲しんで歩いても、何の益になろう。
今、私たちは、高ぶる者をしあわせ者と言おう。
悪を行っても栄え、神を試みても罰を免れる」、と。

 けれども、天の神、万軍の主は仰せられるのだそうです。
「彼らは、私のものとなる。
わたしが事を行う日に、私の宝となる。
人が自分に仕える子をあわれむように、わたしは彼らをあわれむ。
あなたがたは再び、
正しい人と悪者、神に仕える者と仕えない者との違いを見るようになる」(マラキ3:13~18)。

 大牧者イエスが、再び現れるときに、
神の御思いによって生きる者は、
しぼむことのない栄光の冠を受けるのだそうですから(Ⅰペテロ5:4)。

 イエスを通して来てくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方は、
〔父である神〕の愛の心と御思いを、
受け入れる者の心に置いてくださるのだそうですから。
私たちが、神である主を愛し、
御思いの中で生きるように(申命記
111)、と。
今日も。

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