風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

苦しんでいる人、その人は祈りなさい

神よ、私の心は確かです。
私は賛美の歌を歌います。
詩108:2

 あなたがたの中で苦しんでいる人は、
祈りなさい。
喜んでいる人は、
賛美の歌をうたいなさい。
ヤコブ書5:13

 ゼカリヤ書7:2~13
 申命記26:1~15(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句2/;土)

 私たち、心を確立して、揺るぐことなく、
天の神、主、「『わたしはある』という者』と名乗られる方に向かって
賛美の歌を歌うようにしていただけるのだそうです。
苦しんでいる時、私たちの叫びに答えてくださり、
私たちが生きていくのに必要なすべてのものを備え、
私たちを喜ばせようとしていてくださる方に。

 「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になっている私たちは、
断食をして嘆く時も、
食べたり飲んだりするときも、
それを自分のためにするばかりで、
天の神、主のためにするのではない者なのですね。

 天の神、主、万軍の主から、
「わたしが、『正しいさばきを行い、互いに誠実を尽くし、憐れみ合え。
やもめ、みなしご、在留異国人、貧しい者をしいたげるな。
互いに心の中で悪をたくらむな』と言っても、
彼らはこれを聞こうともせず、
肩を怒らせ、耳をふさいで聞き入れなかった。
彼らは心を金剛石
(ダイヤモンド)のようにして、
万軍の主がその御霊により、
先の預言者たちを通して送られたおしえとみことばを、
聞き入れなかった。
呼ばれたときも、彼らは聞かなかった。
そのように、彼らが呼んでも、わたしは聞かない」(ゼカリヤ
7913)と言われてしかたのない者です。

 そのような私たちを、天の神、主は、
なお、愛し、憐れみ、大切に思ってくださって、
エスが十字架刑での処刑を受けてくださったことによって、私たちを赦し、
そのイエスを通して〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださって、
受け入れる者の心に〔父である神〕の御思いを置いてくださり、
受け入れる者が〔父である神〕と同じ思いを思い、
願うようにしてくださって、
実現に至らせてくださり(ピリピ
213)、
喜び、賛美するようにしてくださるのだそうです。

 〔父である神〕が与えてくださった恵みの十分の一をもって、
レビ人
(産業を持たないで、天の神、主に仕えることを専門にしている人)
在留異国人、みなしご、やもめのために用い、
共々に喜び合い、賛美の歌を歌い合うようにも(申命記
261113)。
今日も。

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