風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

神の秘められた計画をゆだねられた管理者として

もし主に仕えたくないというならば、
仕えたいと思うものを、
今日、自分で選びなさい。
ただし、私と私の家は主に仕えます。
ヨシュア記24:15

 こういうわけですから、
人は私たちをキリストに仕える者、
神の秘められた計画をゆだねられた
管理者と考えるべきです。
Ⅰコリント4:1

 Ⅱテサロニケ3:1~5
 申命記27:1~10(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句2/19;月)

 天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方は、
私たちが、恐怖によってではなく、
愛によって、自由意思で、自発的に、
ご自身を「私の神」として選び、
仕える者になってほしいと願っておられる方のようですね。

 イスラエルの民をエジプトから脱出させ、
約束の地に導いたモーセの後継者として、
約束の地をイスラエル12部族に分割したヨシュアも、
自分の死を前にして、イスラエルの民にこのように言っています。

 また、使徒パウロも、
自分たちを、キリストに仕える者、
神の計画をゆだねられた管理者として、
テサロニケの人たちに書き送っています。
「私たちが命じることを、あなたがたが現に実行しており、
これからも実行してくれることを私たちは主にあって確信しています。
どうか、神である主が、あなたがたの心を導いて、
神の愛とキリストの忍耐を持たせてくださいますように」(Ⅱテサロニケ
345)と。

 モーセイスラエルの民に言いました。
「あなたがたが、あなたの神、主が与えようとしておられる地に向かって
ヨルダン川を渡る日には、
大きな石をエバル山に立て、
それらに石灰を塗り、
この、御教えのすべてのことば書きしるしなさい。
静まりなさい。
イスラエルよ。聞きなさい。
きょう、あなたは、あなたの神、主、
「『わたしはある』という者」と名乗られる方の民となった。
あなたの神、主の御声に聞き従い、
私が、きょう、あなたに命じる
主の命令とおきてとをおこないなさい」(申命記
27110)、と。

 今、イエスの十字架刑での処刑と、復活によって、
新しい契約に仕える者、
文字に仕える者ではなく、
御霊に仕える者(Ⅱコリント
36)としていただいた者は、
御霊、〔聖である霊〕と呼ばれる方が心に置いてくださる
〔父である神〕の御思いについて行く者、
御思いを実行していく者(エレミヤ31:31~33、エゼキエル36:25~28、ガラテヤ5:24~25)として用いていただけるのだそうです。
今日も。

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