風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

正しい裁きを行いながら、慈しみとまことを全うして

キリストが
私たちのために死んでくださったことにより、
神は私たちに対する愛を示されました。
ロマ書5:8(2/25の週の聖句)

 正しい裁きは御座の基、
慈しみとまことは御前に進みます。
詩89:15

 義のために迫害されている人々は、
幸いである。
天の国はその人たちのものである。
マタイ5:10

 マルコ12:1~12
 詩35:1~16(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句2/25;Ⅳ日)

 〔父である神〕は、
独り子である方を私たちの身代わりにして死に渡すほどに、
呪われたものとして十字架刑で処刑してくださるほどに、
私たちひとりひとりを愛していてくださるのだそうです。

 〔御子である神〕は、私たちひとりひとりを愛してくださって、
この、〔父である神〕の御思いを受けて、
天の栄光の座を後にして人の世に来られ、
自分から進んで、私たちの身代わりとなり、
十字架刑での処刑を受けてくださったのだそうです。

 正義と愛、私たちに対する慈しみを全うするために。

 そして、もうひとりの方、
ねたむほどに愛しておられる方、
〔聖である霊〕と呼ばれる方を、受け入れる者に派遣してくださって、
心に、私たちひとりひとりに対する御思いを置いてくださって、
愛し合い、思いを同じくし、心を一つにする者としてくださるのだそうです。

 それで、この方の愛を伝えていくとき、

〔御子である方〕、イエスが迫害されたように、
伝える者も迫害されることもあるようです。

 ちょうど、持ち主であるぶどう園の主人から
ぶどう園を借りている人たちに遣わされたしもべが、
はずかしめられ、迫害されたように(マルコ12:1~12)。

 けれども、天の御国はその人たちのもの、なのだそうです。
天の神、主は、迫害する人たちが、
「あははは。われわれの望みどおりだ。
われわれは彼を、飲み込んだ」とは
言わせない(詩篇35:25)のだそうですから。
この新しい週も。

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