風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

救う力のある方の御心について行って

心を尽くして主に仕えなさい。
むなしいものを慕ってそれて行ってはならない。
それはむなしいものだから何の力もなく、
救う力もない。
サムエル記上12:20~21

 無分別な者とならず、
主の御心がなんであるかを悟りなさい。
エフェソ書5:17

 ヨハネ16:29~33
 ヨハネ11:32~45(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句2/28;水)

 天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方は、
サムエルを通して、イスラエルの民に言われたのだそうです。
「恐れてはならない。
あなたがたは、このすべての悪を行った。
しかし主に従い、わきにそれず、心を尽くして主に仕えなさい。
役にも立たず、救い出すこともできないむなしいものに従って、
わきにそれてはならない。
それはむなしいものだ」(Ⅰサムエル12:⒛~21新改訳)と。

 

 また、使徒パウロを通しても言われます。
「無分別な者、愚かな者とならないで、
主のみこころが何であるかを、よく悟りなさい」と。

 イエスは、常に、
〔父である神〕といっしょにおられた方(ヨハネ16:32)、なのだそうです。
いつも、〔父である神〕と思いを同じくし、
心を一つにしておられた方、
〔父である神〕の御心を悟っておられた方なのですね。

 それで、死んで、墓に納めら、
もう4日目になり、臭くなって来ているであろう、ラザロに対して、
心に来た〔父である神〕の御思いに従って、
マリヤについて来た人々の前で、
「ラザロよ。出て来なさい」と大声で叫ばれ、
顔は布で包まれ、手と足を長い布で巻かれたまま、出て来たラザロを、
「ほどいてやって、家に帰らせなさい」と言って、
マルタとマリヤに返されたのだそうです(ヨハネ11:32~45)。

 私たちも、イエスの十字架刑での処刑と復活を通して

私たちに来てくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方が心に置いてくださる
〔父である神〕の御思いについていくとき、
〔父である神〕から遣わされた者として、
神の栄光を現すために(ヨハネ11:40)用いていただけるのだそうです。
エスに似た関係にしていただけて。

今日も。

 

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