天と地、 これらはすべて、わたしの手が造り、 これらはすべて、 それゆえに存在すると、主は言われる。 わたしが顧みるのは、苦しむ人、 霊の砕かれた人、 わたしの言葉におののく人。イザヤ書66:2
イエスは、 群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、 打ちひしがれているのを見て、 深く憐れまれた。マタイ9:36
ルカ14:(25~26)27~33(34~35) ヨハネ12:⒛~26(通読箇所)
(ローズンゲン日々の聖句3/5;月)
「天と地、これはわたしの作ったもの。 天はわたしの王座、地はわたしの足台。 それなのに、あなたがたは、どのようなわたしの住まい、わたしの家、 わたしのいこいの場を建てるのか」と 天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方は言われるのだそうです。
「わたしは、苦しむ人、 へりくだって霊の、心の砕かれた人、 わたしの言葉におののく人に目を留め、顧み、 その人のところに来てともに住む。 わたしの住まいとする」(イザヤ66:1~2)、と。
それで、イエスは、群衆が、 飼い主、羊飼いのいない羊のように弱り果て、打ちひしがれ、倒れているのを見て、 深く憐れまれ、かわいそうに思ってくださって、 羊飼いを、世話をし、導く者を遣わそうとしておられるようです(マタイ9:36~37)。
イエスは言われました。
「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それは一粒のままです。 しかし、もし地に落ちて死ねば、その一粒から芽が出て、豊かな実を結ぶ。
そのように、この世の自分のいのちを愛する者はそれを失い、 この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至る。 わたしに仕える者、わたしについて来る者は、 わたしがいる所にいるようになるから」(ヨハネ12:24~26)、と。
そして、イエスは、ご自身、一粒の麦が死ぬように、 十字架刑での処刑を受けて死のうとしておられます。
それで、人々に言われたのですね。 「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になって(創世記3:5、22)、 神に対抗し、「的外れ」になっている、 〔生まれたときからの私〕という霊、この世の命。 それを愛し、そのままでいながら、 自分の力で神の義に達することができるかどうか、 まず座ってよく計算しなさい。
もし、見込みがなければ、 間に合ううちに、手遅れになる前に、和解しなさい(ルカ14:28~33)。
自分を不幸にしている原因である 「神のひとりのようになり、善悪を知る者になっている」、 そのこの世のいのち、〔生まれたときからの霊〕を 処刑を受けるべきもの、十字架刑に架けられるべきものと認めて、憎み、 わたしについて来なさい(ルカ14:27)。
わたしがいる所にいる者になりなさい」、と。
イエスが、一粒の麦が地に落ちて死ぬように、 十字架刑での処刑を受けられ、死んでくださった今は、 私たちも、「神のひとりのようになり、善悪を知る者になっている」、 この〔生まれたときからの私〕という霊、この世のいのちを、 イエスの十字架の処刑に合わせていただいて死んだものとしていただき、
墓に葬られ、 三日目に死人のうちから、新しい霊のからだに復活され、 天の〔父である神〕の右の座に帰られたイエスが派遣してくださる 〔聖である霊〕と呼ばれる方によって心に来る、 〔父である神〕の御思いについて行くように、と勧められているのだそうです。
苦しむ人、霊の砕かれた人、神の言葉におののく人が、 神とともに生きるようにと。 今日も。
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