風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

仕えるために、自分のいのちを与えるために、来られて

人の子は、仕えるために、
また、多くの人の身代金として
自分のいのちを献げるため来た。
マタイ20:28(3/18の週の聖句)

 主よ、
慈しみを私たちに示し、
私たちをお救いください。
詩85:8

 恵みと真理は
イエス・キリストを通して現れた。
ヨハネ1:17

 マルコ10:35~45
 詩43(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句3/18;Ⅲ日曜)

 天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方は、
私たち人間に対する、ご自身の恵みと真実によって
慈しみを私たちに現そうと、
〔御子である神〕を人として、人の世にお遣わしくださったのだそうです。

〔御子である神〕は、
〔父である神〕のお心に従って、
私たち人間に仕えてくださり、
ご自身のいのちを、
私たち人間の身代金、贖(あがな)い代として差し出し、献げて、
十字架刑での処刑を受けてくださったのだそうです。
神に反逆した者、神に拒まれ(詩43:2)、呪われた者として。

けれども、弟子たちは、このことが理解できず、
人々が待ち望んでいたように、
エスを、王として立ち、民を率いて立ち上がり、
ローマ軍を打ち破ってダビデの王国を再現するキリストとしてしか、
見ていなかったようです。

それで、十字架刑での処刑を受けるためにエルサレムに向かうイエスに、
エスの親戚であったヤコブヨハネは、
母親とともに来て、願ったのだそうです。

 「あなたの栄光の座で、ひとりを先生の右に、ひとりを左に座らせてください」と。
そして、これを知った弟子たちは、腹を立てたのだそうです。

それで、イエスは言われたのだそうです。
「異邦人の支配者と認められる者たちは彼らを支配し、
権力を振るいます。

 しかし、あなたがたの間では、そうではありません。
あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、
みなに仕える者になりなさい。

 あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、
みなのしもべになりなさい。

 人の子(イエスご自身のこと)が来たのも、
仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、
また、多くの人のための、贖いの代価として、
自分のいのちを与えるためです」(マルコ10:35~45新改訳)、と。

私たち、イエスの弟子たちのように、
人の上に、人の先に立ち、権力を振るいたい者ですが、
その、私自身である〔生まれたときからの私〕という霊を、
エスに合わせていただいて、十字架刑で処刑された者としていただき、

エスが派遣してくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方をお迎えするなら、
この方が、受け入れる者の心に
〔父である神〕の御思いを置いてくださるので、
受け入れる者が〔父である神〕、〔御子である神〕と思いを同じくし、
心を一つにしていただけるのだそうです。

それで、私たちも、
エスと同じように、人に仕える思いも、
心に持つ者にしていただけるのだそうです。
神のいつくしみと恵み、真実において。
この新しい週も。

 

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